akane
2018/07/27
akane
2018/07/27
脚本家・映画研究家の大野裕之さんが、スターたちの肉声から「声優」の歴史に迫っていく「創声記」インタビュー。羽佐間道夫さんに続く二人目は『ドラゴンボール』の孫悟空、孫悟飯、孫悟天、『ゲゲゲの鬼太郎』の鬼太郎……など「女性が演じる少年役」というジャンルを切り開いたレジェンド声優・野沢雅子さんに、ご自身の今までとこれからを余すところなく語っていただきました! 特別に羽佐間道夫さんにもご同席いただきまして、お二人のあの声とあの声、あのキャラとあのキャラ…etc. などと、お好きなかけあいを妄想しながら読んでいただくのがオススメです。全6回の大ボリュームでお届けします。
――今日は野沢雅子さんにお話をお伺いするということですが、羽佐間道夫さんにもご同席していただき、声優界の草創期のことを中心に語っていただければと思います。 野沢さんは、御生まれは?
野沢 昭和11年、1936年ですね。
――じゃ、羽佐間さんとは3歳差ということになるんですね。
羽佐間 三つ違いの姉さん。
――いや、兄さんでしょ(笑)。
野沢 姉さんになるんですよ、なぜか。
――そんなことはないと思います(笑)。お生まれは?
野沢 東京の日暮里なんです。
――そのあと、すぐ群馬に行かれますね。
野沢 戦争が激しくなった時、うちは田舎に親戚がいないんで疎開ができなかったんですよ。その時、隣組の人が「うちの田舎に来てください」と誘ってくれて付いて行ったのが、群馬だったんです。小学校3年のおしまい、9歳の頃でした。昭和20年の終戦直前のことです。
――お父様のことを教えてください。
野沢 父は画家です。日本画の川合玉堂先生の一番弟子なんですって。父は19歳の時に初めて帝展(今の日展)に出したのが特選を取って、その作品がフランスに行って売れたのですが、すぐに体を悪くして大作が描けなくなったので、自分で描ける範囲のものを描いて、贔屓にしてくれる方々に買ってもらっていました。
――川合玉堂先生は、関西画壇の大家ですよね。
野沢 そうです。でも、父のことを横山大観さんが可愛がってくれて、私が子供の頃遊びにいらしてました。
――すごいですね。
野沢 私にとっては、おじ様っていう感じでしたが。母によると、横山大観さんは父と二人で展覧会やろうって言ってくださったそうです。でも、師匠が違うから、それは難しいとお断りしたら、じゃあ仕方ないねということになった。大観さんはそんな風にキップがいい方なんですね。川合先生はしっとりとした方で、タイプが違っていたそうです。
――お母様のことをお聞かせくださいますか?
野沢 うちの母は、大名の娘なんですって。
――ええー?
野沢 でも、本人はとっても嫌がって、「今の時代に大名が何なの。そんなこと言ったってしょうがないでしょ」ということで、私達も口にしませんでした。
それにしても、ドラマチックに生きた人なんですよ。祖母は大名との間に母を生んだのですが、お宿下がりで赤ん坊だった母を連れて、実家の材木問屋に帰ってきたんです。ところが、材木問屋が火事になって祖母は死んでしまい、火消しの親方が、赤ん坊だった母だけは助けることができた。それで、親方の娘として育てられたんです。
羽佐間 それだけで映画になっちゃう。
野沢 それで、母は火消しのお嬢さんとして、一番末の娘として育てられたんだけど、姉達もいるのに家族の中で自分だけすごく特別扱いされているのはなぜだろうと母は不思議に思っていたんですって。それで、ある時に育ての父から聞かされて、祖母の文箱のなかの短刀を見せてくれた。私も一回見たことがあります。しかし、母はそういうことを引きずるのは大嫌いで、処分してしまいました。
――叔母様は女優の佐々木清野なんですね。
野沢 そう。松竹蒲田時代に大スターだったんですってね。後に巨匠となる小津安二郎監督のことを、オッチャンって呼んでました。
叔母はある程度キャリアを積んだあとは、教育映画などに出ていました。私に自分の跡を継がせたくて、映画界に入れようとしたので、私は赤ちゃんの時からいろいろ松竹蒲田の映画に出ていたみたいです。
でも、中学になってからは、舞台がやりたくて、映画は面白くないと思い始めました。映画は細切れに撮りますけど、舞台はずっと演技を続けてやれるし、お客さんの反応がすぐに返ってくるから好きだったんです。それで、叔母と喧嘩になったりしました。
――佐々木清野さんと言えば清水宏監督の作品や、また阪妻プロ(阪東妻三郎プロダクション)のごく初期の『素浪人』などにも出演しておられます。そういった名監督さんや、他の俳優さんについては何か語っておられましたか?
野沢 いえ、全然私は聞きませんでしたね。なんかきっと言ってたんだろうけど。私はもう映画界よりも舞台が大好きになってしまっていたので。
――野沢さんの芸事との最初のかかわりは、叔母様の映画になるのですか。
野沢 いえ、最初の芸事は日本舞踊なんです。父が私に着物を着せたくて習わせました。発表会の時にいろんなものをもらえるのが嬉しかったです。三味線やお茶やお花もやらされましたけど、全然ダメでした。いつでも母に「まあちゃんのお花は、きちんと綺麗なままね」と言われる。つまり、花を活けないで持って帰って来ちゃうから、バレちゃうんです。
――初舞台は覚えていますか?
野沢 よく覚えているのが、学芸会でやった「海彦山彦」ですね。小学校の5年か6年の時。「海彦山彦」だから男の役なんですが、二人でベッドで寝るシーンがあるんです。すると、同級生たちに騒がれちゃって、ヒューヒューなんて。
――(笑)
野沢 なんでこんなところでヒューヒュー言われるのかなとその時は分からなかったのですが、よくよく考えたらそうなんですよね。
――初舞台は男の役だったんですね。
野沢 そう、男の役なの。私ほんとに子供の頃から男の役で。お姫様を願ってるんですけどね。小学校5年生から男の役ばかりなんですよ。
――劇団にお入りになったのは?
野沢 高校一年の時に、東芸に入りました。映画界入りさせたかった叔母が諦めてくれて、NHKのプロデューサーを介して入れてくれました。
――その時の初舞台は?
野沢 鮮明に覚えています。菊田一夫先生の「堕胎医」でした。黒澤明監督が翻案して『静かなる決闘』として映画化した作品です。
23歳ぐらいの娘が主役で、私は80歳ぐらいのお手伝いの役でした。やっぱり若い娘の主役がやりたかったんです。でも、その役は旗和子さんという、素晴らしい芝居をする方がなさった。テレビでも賞を貰っていた立派な女優さんです。
でも、私は旗さんに、「ちょっと話を聞いてくれますか」と、「旗さんの役は23歳で、私は80歳の、目も見えない婆さんの役です。これは難しいから旗さんがやった方がいいと思います」と言ったんです。
―― (笑)
野沢 すごく怒られるの覚悟して。そしたら旗さんも、「そうだね、それが当たり前だよね。だけどマコ、よく聞いて。あたしは、この役しかできないんだよ。マコはどっちもできるんだよ。だからマコの方にその婆さん役が行ったんだ。お婆さんだってすごい役なんだからね」。それを尊敬してる大先輩から言われて嬉しくて、「頑張ります」って。公演後は、劇団内で賞をいただいたので、どんな役でも頑張っていこうって思いました(編集注:マコ=野沢さんの愛称)。
――いい先輩ですね。
羽佐間 東芸は、進藤英太郎、武藤英司とかユニークな人がたくさんいたね。東映の敵役なんかもたくさんいた。
野沢 川内康範さんがうちの座付きでした。川内さんの「にしん場」という漁師の話は、切符を買う人の列が読売ホールに三重回りました。
羽佐間 東芸からは、外国映画の吹き替えでスター陣が出てきましたね、大塚周夫……。
野沢 森山周一郎。
羽佐間 富田耕生に熊倉一雄もいたんだよね。
――野沢さんの夢は、演劇の舞台女優だったんですね。
野沢 もうずっと舞台女優です。当時、五社協定があってテレビには映画俳優は出られませんでしたから、私はテレビが始まった時から声優をやってるんですよ。当時は、生本番でしたね。
最初に、アテレコをやったのは、洋画の吹き替えでした。その作品に少年が出てくるのですが、生本番だし本物の少年は危なっかしい、でも、信頼できる俳優はもう変声期過ぎてる。その時に、プロデューサーが、子供の声には女性の声帯が近いんじゃないかと言い出した。それで各劇団に声がかかって、オーディションがあったんです。
私も何のオーディションか知らされずに劇団から行かされました。それで、台本渡されたら少年なんですよ。ふざけないでよ、私は大人の女性なのに少年? すると、幸か不幸か、受かったんです。
そのうち、洋画がどんどん増えてきました。とくに、お年寄りは、映画館の字幕スーパーを追えないから、お茶の間でテレビから流れてくる日本語で洋画を見たいから。当時の洋画には、少年がどこかに出てくるんです。たまたま私が合格したもんで、「あの人慣れてるから」ってことで(慣れちゃいないですよ)、お役が回ってくる。そんな風に、私この世界に入って来ました。
――そのきっかけとなった作品は何ですか?
野沢 劇団の収入源として行ってただけで、当時は興味がなかったので覚えていません。劇団の稽古を休まなければいけないから片身狭いんですよ。でも、劇団のために行くから「行っといで」と先輩言ってくれるんですけどね。
(第2回に続きます!)
野沢雅子(のざわ・まさこ)
1936年生まれ。主な出演作品に『ドラゴンボール』シリーズの孫悟空、悟飯、悟天、『ど根性ガエル』のひろし、『ゲゲゲの鬼太郎』の鬼太郎、『銀河鉄道999』の星野鉄郎がある。
【大野裕之】
脚本家・日本チャップリン協会会長
チャップリン家の信頼もあつく、国内外のチャップリン公式版Blu-rayを監修。羽佐間道夫氏発案の「声優口演ライブ」の台本を担当する。著書『チャップリンとヒトラー』(岩波書店)で2015年第37回サントリー学芸賞受賞。映画脚本家としては、2014年『太秦ライムライト』で第18回ファンタジア国際映画祭最優秀作品賞受賞。
【羽佐間道夫】
1933年生。舞台芸術学院卒。劇団中芸を経て、『ホパロング・キャシディ』で声優デビュー。以来、声優の草分けの一人として数多くの名演を披露。代表作に、シルヴェスター・スタローンを吹き替えた『ロッキー』シリーズほか、チャールズ・チャップリンの『ライムライト』、ディーン・マーティン、ポール・ニューマン、ピーター・セラーズ、アル・パチーノの吹き替えなど多数。2008年、第2回声優アワード功労賞受賞。
写真= 髙橋智英/光文社
株式会社光文社Copyright (C) Kobunsha Co., Ltd. All Rights Reserved.