プロローグその3
新堂冬樹『動物警察24時』

いかなる理由があろうとも「動物虐待」など許さない!
そんな人の心がひとつの組織となった。
動物を身を張って守る、それがTAP——東京アニマルポリスなのだ。

 

 

 犬は、人の気持ちを察する天才だ。
 笑顔でも敵意のある人間、平静を装っても怖がっている人間……犬は見た目に騙(だま)されず、野生の本能で人間の心理を見抜いてしまうのだ。
『なるほど、勉強になります。でも、アンソニー、尻尾を振ってますよ? どうぞ』
「呆れた。まさか、尻尾を振るイコール喜びのサインだなんて、素人みたいなこと思っていたんじゃないでしょうね? どうぞ」
『え!? 違うんですか!? どうぞ』
「犬が尻尾を振るのは興奮しているときのサインよ。嬉しいから尻尾を振るんじゃなくて、嬉しくて興奮しているから振るの。だから、身の危険を感じて興奮しているときも同じように尻尾を振るのよ。どうぞ」
『驚きです! いやぁ、先輩、改めて尊敬しちゃうなぁ』
「なに他人事(ひとごと)みたいに言ってるの。あんたもアニマルポリスなんだから、もっと動物の気持ちを勉強……」
 璃々は言葉を切った。
 視線の先――中年女性が立ち上がった。
 周囲に首を巡らせ、ホームレスが寝ていることとサラリーマン風の男性がスマートフォンのゲームに熱中していることを確認すると、ゴルフバッグを肩から下ろした。
「涼太! いよいよよ! どうぞ」
 璃々は言いながら、革手錠を握り締めた。
『ラジャー』
 中年女性がゴルフバッグのファスナーを開き、中から長さ一メートルはあろうかというバズーカ型の水鉄砲を取り出した。
 スケルトンの貯水タンクは、ピンクに染まっていた。
 中年女性が特大水鉄砲を肩に載せ、銃口をアンソニーに向けた。
 涼太が自動販売機の陰から飛び出した。
 璃々も涼太のあとに続いた。
 中年女性が引き金に手をかけるのとほとんど同時に、涼太が飛んだ――中年女性の腰に組みつき、地面に転がった。
 鮮やかなピンクの液体が宙に放物線を描いた。
「動物愛護管理法違反で、現行犯逮捕します!」
 璃々は涼太に組み敷かれている中年女性の右手首を革手錠でロックした。
「な、なにするんだい! は、離せ! 水鉄砲で遊んだら、犯罪なのかい!」
 中年女性は、つば広帽子とサングラスが外れるほどに激しく暴れた。
「しらばっくれてもだめですっ。あなたが連続愛犬ペンキ放射事件の犯人だとわかってるんですから!」
 あと数秒遅れたら、アンソニーはピンクのペンキ塗(まみ)れになっていた。
「私が、その犬にペンキを浴びせようとしたっていう証拠はっ、証拠はあるのかい!」
 中年女性が開き直ったように言った。
「このペンキを鑑識に回します」
 璃々は地面に転がる水鉄砲を、革手錠を持つ手と反対側の手で拾い上げた。
「過去四件の被害にあった犬のペンキと原料が一致するかどうかは、すぐに結果が出ます。涼太、先に彼女を車に連行してて」
 璃々は言い残すと、アンソニーのもとに駆け寄った。
「大丈夫だった!? よく頑張ったね~。いい子、いい子」
 璃々はアンソニーの丸くひしゃげた顔を両手で挟み込み、もみくちゃにしながら褒めた。
ブフゥ~、と鼻息を鳴らし洟水(はなみず)を垂らし、アンソニーが璃々に甘えてきた。
 任務を終えた直後は、ポリスドッグを思い切り褒めて甘えさせることが重要だった。
「怖かったね~、かわいそうだったね~、えらかったね~」
 璃々はアンソニーを抱き締め、ぺちゃ鼻にキスの雨を降らせた。
『先輩、早く行きましょうよ~。どうぞ』
 涼太の焦(じ)れた声が通信機から流れてきた。
「ポリスドッグのケアには、たっぷりと時間を取るって習わなかった? もう一度、研修を受けなさい。どうぞ」
『はいはい』
「はいは一回!」
 璃々はピシャリと言い放つと口もとを綻(ほころ)ばせ、アンソニーを抱き上げた。

『あなたが放ったピンクのペンキと、過去に「朝顔公園」と「昼顔公園」で被害にあった四匹の犬の被毛に付着していたペンキの成分が一致しました。もう、言い逃れはできません。すべて、あなたがやったことですよね?』
 コンクリート壁に囲まれた十坪のスクエアな空間――「説得室」で、「目黒公園愛犬連続ペンキ弾事件」の容疑者として連行した中富光江に、涼太が自白を促した。
「説得室」は、警察で言えば「取調室」に当たり、容疑者を説得して改心させるための部屋だ。
『だったら、なんなのよ?』
 中富光江が足を組み、開き直ったように言った。
「あんな小柄な普通のおばさんが……世の中、わからないもんだね」
「説得室」の隣室で、マジックミラー越しに涼太と中富光江のやり取りを璃々とともに見ていた兵藤が、他人事のように独り言(ご)ちた。
 四十五歳になる兵藤は、TAPの捜査一部の十人の職員で最年長の四十五歳だ。
「小柄なおばさんでも動物を虐待する人はいるし、大柄の極悪顔の男でも虫も殺せない人はいます。先入観念に左右されるのは危険です」
 璃々は、マジックミラーに眼を向けたまま言った。
「そんな棘(とげ)のある言いかたをしなくても……いや、そうだね、君の言う通りかもしれない。うん、先入観念はよくないね」
 言いかけた兵藤が、言葉を変えた。
 彼の自己防衛のアンテナが、言い返せば議論に発展すると察知して璃々に話を合わせたのだろう。
 兵藤は部長の肩書はあるが事なかれ主義で、璃々とは真逆で積極的な捜査を嫌う。
 捜査一部で問題があると自らの責任になるので、とにかく無難に済ませたいのだ。
 璃々は、兵藤の日和見主義的な言動が苦手だった。
「東京アニマルポリス」の捜査部は五部まであり、フェレットやウサギなどのエキゾチックアニマルの事件を扱うのが二部で、イグアナ、ヘビ、カエルなどの両生類、爬虫類の事件を扱うのが三部、オウム、インコ、フクロウなどの鳥類の事件を扱うのが四部、牛、馬、豚などの家畜の事件を扱うのが五部だ。
ライオンやワニなどの特定動物の事件が発生した場合、各部署が総動員で対処する。
 璃々の所属する捜査一部は、犬猫を専門に扱う花形部署だ。
 だからといって、犬と猫以外の事件を扱わないわけではない。
 研修期間に一通りの動物の勉強をしているので、難解な事件や人手が足りないときは部署の垣根を越えて協力し合うことになっている。
『その言いかたはないでしょう? あなたは、自分のやったことを反省していないんですか? 物言えぬ動物にペンキを浴びせるなんて、かわいそうだと思いませんか?』
 涼太が、冷静さを保ちつつ諭すように言った。

 

(つづく)毎週木曜更新中

動物警察24時

新堂冬樹(しんどう・ふゆき)

金融会社を経て、「血塗られた神話」で第7回メフィスト賞を受賞して作家デビュー。 『無間地獄』『闇の貴族』『カリスマ』『悪の華』『聖殺人者』など著書多数。近著に『極限の婚約者たち』『カリスマvs.溝鼠 悪の頂上対決』など
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