プロローグその4
新堂冬樹『動物警察24時』

いかなる理由があろうとも「動物虐待」など許さない!
そんな人の心がひとつの組織となった。
動物を身を張って守る、それがTAP——東京アニマルポリスなのだ。

 

 

 警察と違い、TAPの仕事は自供させることだけが目的ではない。
 犯人に反省を促し、もう二度と虐待や放置を繰り返さないと改心すれば警察や交番に連行せずに解放することもある。
 ただし、ペットは戻さない。
 姉妹団体の動物愛護相談センターの職員に被害動物を預け、人間にたいして不信感が植えつけられた動物たちの心のケアをし、新しい飼い主、つまり里親を募るという流れになる。
 現場での口頭注意で済む程度ならば飼い主を拘束することはなく、ペットも戻す。
 しかし、身柄を拘束して「説得室」に連行するほどの重い罪を犯した飼い主は別だ。
 改心しても虐待や放置を繰り返す恐れがあるというのが理由だ。
 また、改心しても、ペットに重傷を負わせたり殺害した飼い主は問答無用で警察に引き渡し刑事事件として立件する。
 中富光江のように、ペットを飼っていなくて加虐趣味やストレス発散の目的で他人のペットや野良猫を虐待する犯人は質(たち)が悪い。
  愛情も罪悪感もなく、不特定多数の動物に危害を及ぼすからだ。
『ペンキくらいなんだい。私なんてね、自分の時間を犠牲にして十数年も三人の子育てをしてきたのに、反抗期の息子からはババア呼ばわりされて、甲斐性のない主人には浮気をされて……。別に、そのくらいの息抜きをしたって罰は当たらないさ』
 悪びれたふうもなく、中富光江が吐き捨てた。 
「なんて人なのっ!」
 足を踏み出そうとした璃々の腕を、兵藤の手が掴んだ。
「なにをするつもりだ?」
「『説得室』ですよ! あのおばさんの性根を叩き直してやります!」
「そんなこと……やめてくれ。近年、警察の取り調べでも人権団体やらなんやらがうるさくて、なにかあればすぐに裁判沙汰だ。TAPの職員に密室に監禁されて脅迫されたとか言われたら、私の責任問題に発展するんだぞ。ここは、涼太に任せておきなさい」
「部長、しっかりしてください! 動物虐待したのはあのおばさんですっ。なにを恐れてるんですか!?」
「動物虐待より、人間虐待のほうが問題だろう? いたずらに、事を荒立てないでくれよ」
 兵藤が、懇願口調で言った。
「はぁ!? それ、本気で言ってますか!? 虐待で受ける心と身体の傷の痛みは、動物も人間も同じです! それに、いつ、私があのおばさんを虐待するなんて言いましたか!? 私は、性根を叩き直してやると言っただけです!」
 璃々は、兵藤に軽蔑の眼差しを向けた。
「だから、それが問題だと言っているんだよ。頼むから、ここはおとなしく……」
「部長のほうこそ、黙って見ててください!」
 璃々は兵藤の腕を振り払い、隣室に続くドアを開けた。
「あっ……待ちなさい、北川君!」
 慌てて兵藤があとを追ってきた。
「説得室」に険しい表情で踏み込んできた璃々に、涼太がギョッとした顔を向けた。
「先輩、どうしたんです……」
「あなた! 自分がストレス溜め込んでるからって、犬にペンキをかけて発散していいわけないでしょ!」
 璃々は涼太の声を遮り、中富光江に詰め寄った。
「なんなのよ、犬コロ一匹のためにキーキーキーキー騒いじゃってさ。だいたいさ、犬コロが哀しんだり傷ついたりするわけないでしょうに。ペンキかけられてかわいそうだ虐待だと言ってるけどさ、犬コロのほうは遊んで貰っていると思って喜んでいるんじゃないの?」
 中富光江が嘯(うそぶ)くと、南国の怪鳥さながらにけたたましく笑った。
 気づいたときには、身体が動いていた。
 璃々は涼太の前にあるスチールデスクの上の特大水鉄砲を手に取ると、中富光江に向かって引き金を引いた。
「先輩!」
「北川君!」
 涼太と兵藤の声が交錯した。
「な、なにするんだい!」
 ピンクのペンキ塗れになった中富光江の叫び声が、「説得室」の空気を切り裂いた。
「少しは、ペンキをかけられた犬たちの気持ちがわかった!?」
「おいおい、北川君、これはよくないよ……お詫びしなさい」
 兵藤が、うろたえつつ言った。
「あんた……こんなことして、ただで済むと思っているの!?」
 中富光江が、顔に付着したペンキを手の甲で拭いつつ怒りに震える声で言った。
「それはこっちのセリフよ!」
 璃々は両手を中富光江のデスクに叩きつけ、怒声を浴びせた。
「物を言わないからってね、動物だって私たち人間と同じように痛いも苦しいもつらいも哀しいも感じるのよっ。子育てや旦那の浮気がなんだって言うの!? 信頼している人間にいきなりシンナー臭い液体をかけられて視界を遮られた犬たちが、どれだけ怖くて哀しい思いをしているか、あなたにはわからないの! きなさい!」
 璃々は厳しい表情で言いながら、中富光江の腕を摑んで引き摺(ず)り立たせた。
「ちょ……ちょっと、どこに行くのよ?」
 さっきまでのふてぶてしさは消え、中富光江の顔には不安の色が広がっていた。 
「中富光江さん、あなたを、動物愛護管理法違反で警察に引き渡します!」
「えっ……」
 中富光江が表情を失った。
「北川君、今回は、四匹の被害犬の命にかかわる問題ではなかったわけだし、なにもそこまでしなくても、厳重注意でいいんじゃないのかな?」
 璃々の顔色を窺いながら、兵藤が言った。
「たまたま、運がよかっただけですっ。ペンキには有害物質のシンナーが含まれています。逆に運が悪くてペンキが鼻や口から肺に入って死んだり、命を落とさないまでも失明の危険もあったわけですっ。四匹とも重症にならなかったのは不幸中の幸いですが、だからといって、反省の色の見えない容疑者を許すことはできません! 司法の裁きを受けて、罪を償うべきです!」
 璃々の迫力に圧倒された兵藤は、苦笑いして黙り込むことしかできなかった。
「涼太、車を出して!」
「了解です!」
 弾かれたように席を立った涼太が、「説得室」を飛び出した。
「早く、きなさい!」
 抵抗する中富光江の腕を、璃々は引いた。
「鬼! 悪魔!」
 中富光江が、物凄い形相で璃々に毒づいた。
「物言えぬ弱い立場の動物を、ひとでなしから守るためなら、私は喜んで鬼にでも悪魔にでもなるわ!」
 璃々の啖呵が、「説得室」の空気を切り裂いた。
 中富光江の肩越しで、兵藤が大きなため息を吐(つ)きながらうなだれた。

 

続きは2020年10月発売の単行本でお楽しみ下さい

動物警察24時

新堂冬樹(しんどう・ふゆき)

金融会社を経て、「血塗られた神話」で第7回メフィスト賞を受賞して作家デビュー。 『無間地獄』『闇の貴族』『カリスマ』『悪の華』『聖殺人者』など著書多数。近著に『極限の婚約者たち』『カリスマvs.溝鼠 悪の頂上対決』など
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