2018/08/31
吉村博光 HONZレビュアー
『オオカミと野生のイヌ』 エクスナレッジ
菊水健史/監修 近藤雄生/本文 澤井聖一/写真解説
机上に置いて、繰り返し眺めたくなる写真集が、私には時々ある。都築響一『Tokyo style』や藤原新也『メメントモリ』がそうだった。口の中に入れたスルメのように、次第にヨレヨレになり良い味がでてくる。そしてやがて、居場所を本棚に移す。
NHKの『ダーウィンが来た!』を毎週見ている。雑誌の『ナショナルジオグラフィック』を定期購読していた時期もある。しかし、残念ながらこれまで、私が机上に置く写真集に“生きた動物もの”はなかった。
だが、この本は特別だ。
眺めるたびに、私の中の野生が目覚める。本書は、はじめての机上の写真集となった。
吸い込まれるようなオオカミの目。遠吠えするオオカミの姿。私の身体の奥がザワザワと泡立つ。言い方は変かもしれないが、心底、カッコイイと感じる。それだけではない。彼らの美しい写真に添えられた言葉がまた、サイコーなのだ。
「オオカミとは誰か?」「野生イヌとは誰か?」「グレイという名の白と黒」といった言葉が、冒頭から、まるでドキュメンタリー映画のように次々と迫ってくる。そして、最初の章はハイイロオオカミ。次の章は、ホッキョクオオカミの紹介。
それに続く「オオカミの仲間たち」という章のなかでは、なんと柴犬や秋田犬が登場する。彼らは実は、オオカミと同じ祖先から枝分かれしたイヌという種の中で、オオカミに最も近いDNAを持っているそうなのだ。
彼らは、シベリアンハスキーよりも、オオカミに近い。理由は、ユーラシア大陸の東の果ての小さな島国で、純血を守ることができた古代犬だからだという。こういう話は私の大好物。眼を閉じた後、ぼんやり遠くを見つめてしまう。悠久の歴史に思いをはせる。
本書の中で投げかけられる問いには、次のようなものがある。「オオカミの遠吠えに、なぜヒトは魅かれるのか?」「なぜ、オオカミの目は印象的なのか?」非常に面白い考察だったので、少しだけ引用したい。
“オオカミの遠吠えは、かつては人間に恐怖を呼び起こす声だった。しかし今では、野生の生命力を感じ、魅了される人が多いという。それは人間が、かつては自分たちもその一部だった自然界から遠く離れてしまったことを意味するのかもしれない。”
~本書「オオカミの遠吠えに、なぜヒトは魅かれるのか?」より
私がまだ田舎の少年だった頃、野良犬たちが吠える声はまだ身近にあり、忌み嫌われる存在だった。なるほど、都会暮らしが長くなったからこそ、私も、本書に不思議な魅力を感じているのかもしれない。
“基本的に群れで暮らし、視線が目立つオオカミは、コミュニケーションに視線が多く使われていると想像できる。その通り、オオカミは視線の目立たない他のイヌ科の動物よりも、群れの仲間を長く見つめることがわかった。”
~本書「なぜ、オオカミの目は印象的なのか?」より
仲間だけでなく、人間に対しても、鋭い視線を向けるといわれるオオカミ。その時、彼らはこちらの視線を読み取っているらしい。おそらく、自然界で私が彼らと視線を交わすことはないだろうが、本書を開くだけでも感じるものは多い。
サルから進化してきた我々も、顔の毛がなく、表情で情報交換しているといわれる。俗に「目は口ほどに物を言う」という通り、我々にとって、目も重要なコミュニケーションツールなのである。
顧みると私は、日ごろ「何を言うか」に心を砕いている。しかし、それ以上にもっと大切なものがあることを、物言わぬオオカミの視線が気づかせてくれる。ヨレヨレになるまで眺め続けたい写真集である。
『オオカミと野生のイヌ』 エクスナレッジ
菊水健史/監修 近藤雄生/本文 澤井聖一/写真解説