akane
2019/10/04
akane
2019/10/04
長く酒飲みをやっていると、好きだったお店が閉店してしまうという悲しい経験をすることも増えてきますね。
何十年と歴史を重ねてきた街の酒場。それが、再開発による立ち退きか、店主さんの体力的な問題か、はたまた経営不振か、とにかく永遠にそこにあると錯覚していた空間だったのに、あまりにもあっけなく消えてなくなってしまう。大衆酒場、特に個人店は、絶対に他に替えのきかない、いわば街の財産です。うまく跡継ぎが見つかって、代替わりをしながら続いていくお店もあれば、そうはいかないお店もある。いちファンとして、どうにかその空間を守っていってほしいけど、さりとて自分がお店を引き継げるわけでもない。どうしようもないことだとはわかっていながら、好きだったお店が閉店してしまうのは、切なく、悲しく、そして大変悔しいものです。
20代の頃に入り浸っていた高円寺の街に、その名も「赤ちょうちん」という居酒屋がありました。
特徴はとにもかくにも「安い」こと。お得だった焼酎ボトル会員カードを例にとると、まずは通常、「いいちこ」「二階堂」「ちょっぺん」「(黒)桜島」「白波」「黒霧島」の6種類の焼酎の一升瓶が、2900円。これでもじゅうぶん安い。しかしながら、毎週日、月、金曜日(その曜日チョイスも謎なのですが)、すべて半額になる。つまり1450円。どうかしてます。さらに、ボトルを1本入れるとカードにスタンプがひとつ押され、3本目と5本目は半額、6本目は無料になる。正気の沙汰じゃありません。おまけに、入店時にこのカードを提示すると、生ビールなら1杯、サワー類なら2杯無料で飲める。開いた口がふさがりません。
そんなだからお店は、自分も含め、いつか何者かになりたいと夢見つつ、大した努力もせずに鬱屈している、高円寺に集まりがちな若者たちの巣窟と化していました。また、そんな僕らをいつも温かく迎えてくれる店長の東さんが、とてもチャーミングなおじさんだった。赤いハッピのユニフォームを着て「あれ、昨日も来たじゃない!」なんて言いながら出迎えてくれる。半分はその笑顔に癒されるためにお店に通っていたようなものでした。そんな赤ちょうちんは、残念ながら2010年の9月に閉店してしまいました。
営業最後の日に飲みに行くと、いつもとなんら変わった様子のない東さんが出迎えてくれ、僕たちもふだんどおりのバカ話をしながら飲んだ。しかしふと、「あれ? 東さんとは別に友達ってわけじゃないし、もう会えないのかな?」と気づき、猛烈に寂しくなったことを覚えています。
入り口には、なるべく処分しておきたかったのでしょう。「ご自由にどうぞ」と、お店で使っていた食器の数々が並べられている。僕の好きだった、油ギトギトコッテリ味のホイコーローがいつも乗って出て来たお皿。1枚もらって帰り、今も家にあります。
神奈川県にある稲田堤という駅から多摩川に向かって歩くと河川敷にいきなり現れる川茶屋「たぬきや」も、多くのファンに愛される店であり、2018年の閉店の報には、酒飲み界隈が激震しました。
基本は公園の茶店のようなお店なので、散歩やランニングの人など、老若男女が休憩に利用する。けれども、酒飲みに対してもかなり開かれていて、煮込みや焼鳥もあれば、ホッピーもある。この半屋外のような店内、もしくはテラス席で飲むお酒のなんと美味しかったことか。やがては目の前の多摩川が三途の川のように見えてきて、仲間内の間では、ここは天国に一番近い酒場「天国酒場」だね、なんて呼んでいました。しかしながら、大人気店を女将さんひとりで仕切る大変さに加え、近年の度重なる異常気象の影響もあり、閉店してしまった。
実はその後、一度だけたぬきやで飲ませてもらったことがあります。僕も仕事をさせてもらったことのある某雑誌の編集部が、女将さんと大変懇意にしていた。節目ごとにたぬきやで宴会をしたり、イベントを開いたりもしていた。そんな縁で、特別に「おわかれの会」が開かれ、そこに呼んでもらったというわけなんです。
閉店直前は多くのファンが連日かけつけ、店の前に大行列ができているような状態で、女将さんもかなり余裕のない雰囲気だったのですが、この日はゆっくりとお話をさせてもらうことができました。光栄なことに僕のことも覚えてくださっていて、「よかったらお店にある好きなものなんでも持っていって」と言ってもらい、大変恐縮しつつお言葉に甘え、来るたびに、味があっていいなぁと眺めていた「いらっしゃいませ」と書かれた竹製の札をいただいてしまいました。もちろん、我が家の家宝のひとつです。
木場に「河本」という老舗の名店があった。80歳を超えても現役で店に出、芸術的なまでのホッピーを注ぐ女将の眞寿美さんは、常連みんなのアイドルだったらしい。
らしい、というのは、残念ながら僕は、眞寿美さんが亡くなられてから初めてお店に行ったからなのですが、伝説の女将にお会いできなかったことはとても残念だけど、その想いを受け継いだ義理の妹さんが取り仕切るお店は、それはもう涙が出るほどに良かった。長年の歴史が堆積し、どこを見ても圧倒的なまでの味わいをたたえる、まさに酒場文化遺産。しかし、永遠に残っていてほしいという願いも叶わず、2019年の7月に閉店となってしまいました。
河本は、常連さんたちも本当に素晴らしかった。僕のような一見にも親切で、驚くほどよく飲み、酔いかたもみんなほがらか。その空気感こそが、眞寿美さんの残した河本というお店の魅力の本質だったのでしょう。
お店の歴史からしたらぽっと出にもほどがある僕ですが、いあわせた常連さんの気遣いもあり、そこから河本とのありがたい縁が始まりました。なんと先日、最後にお店を仕切られていた政子さんからわざわざご連絡をもらい、実際に使われていたホッピーのジョッキをひとつ、いただいてしまった。
特に店名がプリントされているということもない、ホッピー社製のジョッキ。しかしながら、言葉では説明できない重みと存在感が確かにある。今現在、自室の棚にうやうやしく飾らせてもらっているのですが、これを使ってホッピーを飲むタイミングって、いつかやってくるんだろうか……。
こういう形見の品は、決して家に増えてほしいものではありません。けれども、多くの人に愛されたお店の歴史の一部に手を触れ、懐かしむことができることは本当にありがたい。今後も大切にさせてもらおうと思います。
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