akane
2018/11/19
akane
2018/11/19
ふつうモノクロでしか見ることのできない昭和30年代の日本を、カラー写真で記録していた人物がいた。
アメリカ出身、日本と日本の鉄道をこよなく愛する、元祖「カラー撮り鉄」、J・ウォーリー・ヒギンズ氏。
1956年に、初来日。’58年に本格的に来日以降、日本に在住。国鉄の顧問を務め、日本全国をくまなく巡りながら、趣味の鉄道写真を中心に、当時としては超贅沢なカラーフィルムで日本の風景を多数撮影してきた。
そんなヒギンズ氏が、このたび出版した『秘蔵カラー写真で味わう60年前の東京・日本』から、いくつかの写真と、それにまつわる思い出話をご紹介する。
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当時の日本は、大通りはだいぶ整備されてきたとはいえ、一歩入れば、まだまだ小さな路地がたくさんあった。
物を運ぶのが大通りだけで済めば、トラックやオート三輪が便利かもしれないが、出発点や終点がいつも大通りにあるとは限らない。
狭い路地から物を運び出すなら、路地に入れないトラックやオート三輪よりはリヤカーの方が遙かに便利だし、場合によっては、人力で運び出すしかないといったことが、当時はごく普通だった。
札幌のメインストリートはたしかに広々としているが、リヤカー(写真右)の移動するところが全てこの広さかというと、それはわからない。狭い道も通ることを考えると、結局こちらの方が便利なこともある。
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