私たちはなぜ「ひとり」が嫌なのか?
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精神科医・水島広子先生の最新刊『続「他人の目」が気になる人へ ~ひとりがラクになるヒント~』より、一部を抜粋してご紹介します。
「他人の目」から自分を解き放ち、「ひとり」でも心地よくいるためのヒントが満載です!

 

 

「友達が少ない=人間としての魅力がない」という思い込み

 

私たちは、なぜそこまで「ひとり」を嫌がるのでしょう?

 

ひとりで外食するときに、「ひとりでいると、寂しい人だと思われるのではないか」「性格的に問題がある人だと思われるのではないか」などと考えてしまうのは、なぜなのでしょうか?

 

また、ツイッターやフェイスブックなどで、「つながっている友達の数が人より少ないのが恥ずかしい」「自分も友達が多い人間だと思われたい」などと感じてしまうのは、なぜなのでしょう?

 

そこには、「一緒に行動している人が多い=友達が多い」「ネット上でつながっている人が多い=友達が多い」という思い込みがあります。それ自体が決して正確なものではないのですが、その背景にはさらに「友達が少ない=人間としての魅力がない、必要とされていない」という思い込みがあります。

 

自分自身に「ひとり」に対するネガティブな思い込みがあるからこそ、自分の中にある「他人の目」を通して、ひとりでいる自分の状況を「友達がいない」「魅力がない」「必要とされていない」という意味に短絡的に解釈してしまっているのです。

 

「他人の目」が気になる人には「プチ・トラウマ」がある

 

ここで改めて解説しますが、「他人の目」とは、自分自身の「プチ・トラウマ」に起因する内なる声です(詳しくは前著『「他人の目」が気になる人へ』〈水島広子・著/光文社知恵の森文庫〉をお読みください)。

 

人は小さいころからさまざまな評価を受けて育ちますが、なかにはネガティブな評価もあります。ネガティブな評価は心を傷つけます。そういった日常生活でのネガティブな評価などによってできた心の傷を、私は「プチ・トラウマ」と呼んでいます。

 

どんな人にも「プチ・トラウマ」はありますが、「プチ・トラウマ」(あるいは虐待など、本格的なトラウマ)を与えてくる人しかいない環境で育った方もいます。そして「他人の目」を強く気にしてしまう多くの方に共通しているのが、「プチ・トラウマ」を数多く抱えている、ということです。

 

大人になっても「ひとりが辛い」

 

「他人の目」が気になってしまう人は、身近なところに批判的な人、心配性の人、過干渉な人が存在したため、成長過程で自分をありのままにさらけ出し、安心するという経験をしていないことが多いのです。

 

「プチ・トラウマ」で傷ついた人は、「他人」を「自分に評価を下し傷つける存在」と認識します。そしてこれ以上傷つくことがないように、「他人の目」を気にするようになるのです。

 

成長過程で「ひとりは寂しい」「ひとりでいるなんて、性格に問題があるのではないか」というメッセージを受け取り、「ひとり」でいることにネガティブな評価を受けた人ほど、「ひとりでいると、変な奴だと思われるのではないか?」と「他人の目」を気にしてしまい、大人になっても「ひとりがつらい」と感じがちだと言えます。

 

※この記事は、『続「他人の目」が気になる人へ』(水島広子)をもとに作られました。

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続「他人の目」が気になる人へ

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水島広子(みずしまひろこ)

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