「スーパースター科学者」は何がスター級なのか?
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世界的な理論物理学者でネットワーク理論の権威、アルバート=ラズロ・バラバシ。複雑な世界をハブやノードといった用語で解き明かしてきた彼は、「人の成功」という最も身近な現象について、ありとあらゆる分野の膨大なデータを10年以上の年月をかけて析し、とうとう成功者に共通するパターンを見出しました。それをわかりやすく、解説した新著『ザ・フォーミュラ 科学が解き明かした「成功の普遍的法則」』が全米ベストセラーとなっています。本コラムでは、『ザ・フォーミュラ』の中から一部を抜粋して、内容を紹介します。

 

スティーヴン・ワインバーグは、史上最高額の年俸を稼ぐ物理学者である。彼は、亜原子粒子に影響を与える弱い力と電磁力とを統一的に記述する理論を完成させた。これは、アインシュタインが研究生活の大半を費やしても、なし得なかった偉業であり、ワインバーグは物理学に多大な貢献をした。彼の理論からほかの物理学者の革新的な研究が生まれ、“神の粒子”と呼ばれるヒッグス粒子の発見にもつながったのだ。そしてご想像の通り、その非凡なパフォーマンスによって非凡な報酬を手に入れた。ハーバード大学教授の椅子を手に入れたばかりか、1979年にはノーベル物理学賞にも輝いたのである。

 

 

ところがワインバーグは、とびきり頭が切れる物理学者というだけではなかった。とびきり手強い交渉者でもあったのだ。1982年、テキサス大学オースティン校は、同大学の総長の年俸に匹敵する金額を提示して、彼をハーバード大学から引き抜こうとした。だがワインバーグはその申し出を断り、テキサス大学アメリカンフットボール部の監督と同等の年俸を要求したのである。忘れてはならないが、場所はテキサスである。ワインバーグは、総長と監督のどちらの年俸が高いかを熟知していたのだ。そして、ハーバード大学を辞めてテキサスに向かった時、彼は確かにアメフト部の監督に匹敵する年俸を手にしていた。1991年には約25万ドルを受け取っていた。象牙の塔の研究者にとって、特に当時の基準では前代未聞の額である。

 

ワインバーグの年収がいかに高額だったとはいえ、それは物理学者の平均年収の5倍に過ぎなかった。それに比べて今日、典型的なCEOの報酬は、平均的な従業員の年収のおよそ271倍にも相当する。経済学者の定義に従ってワインバーグをスーパースターと呼ぶならば、年俸は2億ドルを超えていなければならない。彼がそこまで馬鹿高い年俸を手にできなかったという事実は、スーパースターの重要な特徴を表している。すなわち、桁外れの報酬は、才能を簡単に、何の苦労もなく拡大できる時にのみ生まれる。ローゼンもこう述べている。「演奏者や作家が同じ努力を払っても、会場に足を運んだり、書籍を買ったりしてくれるファンは10人かもしれず、1000人かもしれない」。言い換えれば、莫大な金額を手にするスーパースターになるためには、パフォーマンスが拡大(スケール)しなければならない。

 

テキサス大学アメフト部の監督を例に取れば、1991年の年俸は25万ドルだった。チームを勝利へと導くその才能は、実際、大きくスケールする――試合が放送されると、数百万人のファンがテレビの前に釘付けになる。そのため過去20年にわたって大学のアメフト人気は沸騰し、監督の年俸も高騰した。監督自身は何の余分な努力もしていない。今日、テキサス大学アメフト部の監督の年俸は500万ドルを超えて、同大学の誰の年俸よりも高く、1991年の約20倍に跳ね上がった。いっぽう、ワインバーグの現在の年俸は約57万5000ドル。1991年のようやく2倍どまりである。

 

50万ドル以上も支払うのだから、大学がワインバーグを高く評価していることは間違いない。破格の待遇と言っていい。だが、彼の年俸がアメフト部の監督のように跳ね上がらないことには理由がある。彼は教授であって、その年俸は授業料のなかから支払われる。しかも、膨大な数の学生を教えているわけではない。2011年には、ギリシャ時代からひも理論までを扱う、物理学の歴史を学部課程で教えはじめ、おそらく数百名のエリート学生が彼の才能の恩恵を受けている。だがワインバーグには、派手なジャージに身を包んで講義に殺到する熱狂的なファンはいない。プレゼンテーションの追っかけもいない。講義中に脇でチアリーディングしてくれる者もいない。ワインバーグの成功を経済的な言葉で評価すれば、彼の影響力はスケールしない。

 

だがそれは、スーパースターを経済的な物差しで定義するからだ。「研究分野に及ぼす影響」という新たな測定基準を用いるならば、ワインバーグは紛れもないスーパースターだ。実際、物理学会に及ぼす影響という“通貨“は、ドルのように測定可能である。執筆の十数年後にノーベル物理学賞に輝く、ワインバーグの「電弱相互作用」の論文を例に取ろう。その論文はのちに膨大な数の論文に着想を与え、画期的な研究を生み出し、理論物理学の進歩に大きく貢献した。なぜなら、彼の論文はほかの研究者によって1万4000回も引用されたからである。ワインバーグの論文に触発されて誕生した論文が、この世に1万4000本も存在するという意味である。

 

パフォーマンスには上限があるが、成功には上限がない

 

論文の引用も、べき乗則にならうため、研究分野の成功の測定もビジネス分野の成功の測定とさほど変わらない。アカデミックな分野の成功にも上限がないのだ。だが、その測定基準は金銭ではない。研究分野に及ぼす影響力であり、論文の引用回数を使って測定する。驚くような年俸を稼ぐ賃金所得者がほとんどいないように、たとえどれほど情熱を傾けた研究成果であっても、ほとんどの論文は引用回数が少ないかまったくない。大半は見過ごされる。ワインバーグの論文のように大きな注目を集め、スーパースター級の地位を獲得したケースは極めて珍しい。そのような外れ値を見ると、アカデミックな分野の成功も、ほかの分野の成功と同じように上限がないことがわかる。

 

 

研究分野において、論文の引用回数は通貨になる。比喩で言っているのではない。1回の引用を実際の貨幣価値に換算できる。つまり、論文が1回引用された時に、その引用が生み出す貨幣価値を具体的に割り出せるのだ。

 

それは、いったいどのくらいだろうか。

 

驚くなかれ、アメリカでは1回の引用にかかる研究費は10万ドルに相当するという。だが、その数字はどうやって割り出されたのか。まずはある論文を引用して生まれた、画期的な医療から革新的な製品、あるいは宇宙の起源にまつわる新しい理論までの、幅広いテーマの論文にかかったすべての研究費を計算する。そして、その総額を引用回数の合計で割って、引用1回あたりの費用を割り出す。そうして弾き出された数字が10万ドルであり、その数字を用いれば、ワインバーグのスーパースター性を、経済学者でも理解できる数字に変換できる。ワインバーグのあの元になった論文は、長年にわたって1万4000本もの論文に引用されたため、総額で14億ドルという桁外れの影響を生んだことになる! それが、ワインバーグが1967年に発表した1本の論文に触発されて生まれた、あらゆる研究にかかった研究費の総額である。

 

だが、ワインバーグはどうやってそれほど莫大な影響を及ぼせたのだろうか。その答えは、ダライ・ラマにおおぜいの崇拝者が存在する理由や、ビヨンセのアルバムが数百万ダウンロードを誇る理由と同じだ。上限がないという成功の本質は、ワインバーグやダライ・ラマやビヨンセ自身とは関係がない。

 

「成功で重要なのは社会であり、社会がパフォーマンスにどう報酬を与えるか」なのだ。ワインバーグの論文を引用して、研究者は数年かけてせっせと論文を書く。ダライ・ラマの説教を聴くために、人は群れをなして集まる。何百万人ものファンが、ビヨンセのアルバムをダウンロードして楽しむ。成功の通貨は幅広い――ダライ・ラマは、断固たる反資本主義の姿勢とスーパースター性とが共存できるという絶好の例だろう。だが、スーパースターが稼ぐ成功の通貨には上限がない、という点は変わらない。成功には上限がないのだ。

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ザ・フォーミュラ――科学が解き明かした「成功の普遍的法則」

ザ・フォーミュラ――科学が解き明かした「成功の普遍的法則」

アルバート=ラズロ・バラバシ(Albert-László Barabási)

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