akane
2018/03/22
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2018/03/22
悪態の一つに「クソ食らえ!」があるが、これは戦国時代から江戸初期にかけて実際に行われていた拷問に由来するという。『日本語は悪態・罵倒語が面白い』(光文社知恵の森文庫)著者、長野伸江さんに詳しいお話を伺った。
(※この記事は『日本語は悪態・罵倒語が面白い』を抜粋し再編集したものです)
■『万葉集』にも『古事記』にも『日本書紀』にも「くそ」がある
「くそ」という表記は『万葉集』にもあり、古の神々も用いた、日本人が大切にしたいやまとことばといえます。
しかも『古事記』において「くそ」は重要な役割を担っていて、複数の用例があります。
日本をつくった夫婦イザナギとイザナミの死別の場面では、イザナミの「くそ」から粘土の神が生まれ、「ゆまり(尿)」から農業水の神と生産の神が、「たぐり(吐瀉物)」から鉱山の夫婦神が生まれたとされます。
アマテラスの弟・スサノオの神話にも「くそ」が登場します。『古事記』によれば、彼はアマテラスの神殿で「くそまり散らし」(くそをこき散らし)、ほかの神々に嫌われたといいます。『日本書紀』は別の系統の神話を伝えていて、アマテラスが新嘗祭で使用する御座の下にスサノオが大便をし、知らずに座ったアマテラスは病気になり、天岩屋に閉じこもってしまったといいます。
いずれにせよ、古代の日本人は排泄物を神に縁のあるものとみなしていたことがうかがえます。
■仏教が変えた、日本人の大小便への意識
このように古代の日本人は神話でおおらかに大便の徳を表現していましたが、その後、仏教が発展する中で日本人の大小便に関する意識に変化が生じます。
「くそ」は粘土の神様が生まれるようなものから、地獄で人間を苦しめるものとなったのです。また、僧侶はしばしば価値のないものを大小便にたとえました。鎌倉時代の名僧、道元の『正法眼蔵』では、「金銀珠玉を見るときは、糞土を見るように見るべきだ」、などと、最悪最低なものの代名詞として「糞」が用いられています。
■拷問としての「クソ食らえ」
古来より「神々に縁のあるもの」だった「くそ」は、最低最悪なものという扱いに代わり、一時期は拷問にも使われていたといいます。
「くそ食らい」という表現がその名残で、十七世紀初頭に編まれた『日葡辞書』には、すでに「くそ食らい」ということばが見られます。
由来については、近世風俗の研究家・三田村鳶魚が「江戸ッ子の使う悪態の解説」で、「戦国時代から江戸初期まで行われていた“糞問い”という拷問にある」としています。
糞問いの方法は、さんざんに肉体的な苦痛を与えられながら秘密を白状しない罪人を仰向けに寝かせ、上から顔めがけて糞尿を少しずつ注ぐというもので、シンプルな拷問ですが、少しでも息をしようとすると口や鼻に糞尿が入り、非常に苦しい思いをするそうです。
石を抱かせ、縛って吊るし上げ、熱い火箸を押し付けても白状しないときに「くそを食わせる」といって「糞問」が行われたそうで、糞尿の苦しみが武士の精神に与えるダメージは、ほかの拷問よりも大きかったのでしょう。
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