クジラの乳首から解く、進化の謎
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クジラ博士こと加藤秀弘氏、大いに語る――IWCと商業捕鯨、そして乳首の謎(3)

 

藤崎慎吾 作家・サイエンスライター

 

短期連載の最後は、クジラの研究トピックについて。第1回「日本が脱退して困るのはIWC?」、第2回「商業捕鯨に対する懸念」に引き続き、加藤氏のインタビューをお送りする。

 

ドワーフミンククジラの全身骨格の前で。クジラ博士(右)と藤崎氏

 

■ クジラの乳頭(乳首)はなぜ「収納型」か?

 

柔らかい話になってきたところで、最後はもっと柔らかそうだけれども学術的な話題で締めくくりたい。すなわちクジラの乳頭(筆者は乳首と言いたいのだが、クジラ博士はこう呼びたいらしい)である。どうやら博士の最近の関心事らしいのだが、現役を離れてしまった今となっては、研究を続けるのが難しいという。

 

ここでクイズ――クジラの乳頭は、いくつあるでしょう? 博士によれば、哺乳類の祖先には、もともと7対の乳頭があったという。つまり数は14だ。人間はご存知の通り1対、牛は2対、豚は標準で7対、犬や猫も個体によってちがうらしいが4~5対程度が相場のようだ。海獣のジュゴンは腋下に1対、アザラシは種類によって1対だったり2対だったりするという。で、クジラは?

 

正解は、尾に近い生殖孔の両脇に1対である。祖先では7対あった乳頭のうち、いちばん下が残ったらしい。ちなみに人間では上から2番目が残ったのだという。どうして、そんなことがわかるのか。

 

「 妊娠すると1番目の位置に、痕跡乳頭(副乳)が出てくる人がいるからです。鯨類では、いちばん下が残っている。(分類学的に)もっと大きな、ざっくりした系統から見て、そうなんです。いちばん下を残している哺乳類は、鯨類しかいない」

 

いわゆる「先祖返り」のような現象から、わかるということのようだ。また胎児の発達を追っていく、という手もあるらしい。

 

「個体発生は系統発生を繰り返すという、ヘッケルの『系統反復説』ってあるじゃないですか。あれで、乳頭を見ていきたいと思っていたんです。胎児のエラがある時代から、後ろ足が出たり、ヒレが出たり、後ろ足が消えたりしていくような過程で、乳頭の数も追えると思っていたんです。でもこの証明のためには膨大な標本観察の機会が必要で、結局のところチャンスを失ってできなかった。とくに後ろ足の消失と関係があるかどうかを知りたかったんですが、そういう文献もない」

 

クジラやイルカには前足に当たる胸ビレはあるが、後ろ足は小さな痕跡程度の骨に退化している(まれに先祖返りで、突起やヒレのような後ろ足が現れる場合もある)。乳頭がついているのも後ろ足の痕跡に近い場所なので、両者に何か関係があるかを知りたい、ということのようだ。

 

手前はミンククジラの頭骨

 

クジラの乳頭には、もう一つ大きな特徴がある。出たり引っこんだりすることだ。通常は引っこんでいるのだが、子供が乳を欲しがったり、オスが刺激したりすると出てくるらしい。そういう収納型の乳頭は、他の哺乳類には見られないのだという。

 

水中生活をする上では、なるべく体が滑らかな流線型を保っていたほうがいいだろうから、この仕組みは理にかなっているように見える。だが実際にそうなった理由は、まだ不明だ。博士は冗談半分で、人間の乳頭も刺激すると「立つ」こととか、いわゆる「陥没乳頭」にも関係があるようなことをほのめかしていたが、それも大いに気になる。

 

■ クジラの魅力は存在そのもの

 

クジラの乳頭の謎が解明されたところで、おそらく世界は何も変わらないだろう。だが「捕る」「捕るな」で数十年も争い続けたり、多大な労力をかけて開発したRMPが未だに日の目を見ていないことなどの不毛さに比べたら、ニヤニヤできるぶんだけずっとましだ。もちろん進化についての新たな知見も得られる。

 

「クジラの魅力は存在そのもの、水の中で存在できることですね」マリンサイエンスミュージアムのロビーに流されていた映像で、博士はそう語っていた。「自然の中にそういうものが存在すると、得も言われぬような、気持ちのよさっていうんですかね。湧き上がってくるものがあったんですね。私もともと勉強なんか得意じゃなかったんですけど、そのためなら勉強でもしてやろうかっていう、それが自分自身のきっかけなんです」

 

クジラ博士には、この先もぜひ研究を続けていただき、イグノーベル賞などを受賞していただけないかと思う。その時にはきっと、一瞬ではあろうが、捕鯨業界やIWCにも明るい笑みが広がるはずだ。

 

加藤先生、ありがとうございました!
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クジラ博士のフィールド戦記

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加藤秀弘(かとうひでひろ)

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