戦慄は日常の中にこそある『サイレント・ブルー』刊行!樋口明雄インタビュー
ピックアップ

ryomiyagi

2019/11/26

 

雄大な自然を舞台に小説を描いてきた著者が、今作で挑んだのはパニックサスペンス×社会派小説。「水」を巡って繰り広げられる人間ドラマには、環境や地方行政への真摯な問題意識が込められていた。

 

■『サイレント・ブルー』の着想はどこから得られたのでしょうか?

 

樋口 よくある「実話を元にした物語」です。しかも作者自身の体験が元になっています。

東京を離れ、南アルプス山麓の山梨県北杜市で田舎暮らしというか山暮らしを始めて以来二十年。その間にさまざまなトラブルがありました。庭先でハンターに発砲されたり、猟犬に飼い猫を殺された狩猟問題。生活圏や道路を遮断するような大規模電気柵を突然に作られてしまったり。あるいは裏山が皆伐されてゴルフ場が作られそうになったり、一キロ以上も離れた肥料工場からの臭気に悩まされたり……。

 

そんな中でとりわけ問題だったのが水企業の大量取水による井戸水の枯渇でした。何しろ水がなければ人間は生きていけません。本作の主人公が言ったように、いっそ家ごとどこかに引っ越せたらどんなにいいかと思いましたが、やはりこの地に根を張った以上、踏みとどまって戦うしかない。そんないきさつを『フライの雑誌』という釣り雑誌に書いた記事が大きな反響を呼び、だったら思い切って小説にしてみようと書き始めたのがこの作品です。

 

■本作の読みどころや、力を入れたのはどんなところですか?

 

樋口 自分が今まで書いてきた冒険小説や山岳小説は、知力や身体能力があり、様々な経験を積んだプロフェッショナルともいうべきヒーローやヒロインが活躍します。

 

ところが今回の主人公はあくまでも平凡で非力な一市民。非日常ではなく、よくある日常の生活の中に、意外な方向から忍び込んでくる危機に対して、家族や仲間たちとともにどう対処し、どう戦っていくのか。そういった等身大の主人公と同じ立場で、読者の皆さんに読んでいただきたいと思いました。

 

また、ストーリーの主軸となる水問題とは別に、田舎にありがちな新旧住民の対立や、村社会の閉鎖性、昔からの悪しき因習も含めて、地方という独自の地域が持つ様々な問題を取り入れ、実体験という視点を入れたリアルな物語となっています。

 

さらに昔から地方をむしばんできた様々な問題、矛盾、不正がここには提起されています。行政と企業の癒着や、利権がからんだ公共工事。農業や林業の衰退。そして金権選挙。それらは都会に暮らす人たちにとって決して他人事ではなく、地方が抱える幾多の問題は、実は国全体の問題が起因となって生じたしわ寄せにすぎないのです。

 

 

 

■「水」が主要なテーマの本作。八ヶ岳(やつがたけ)界隈で生活される中で「水」について考えを巡らせる機会も多いのではないでしょうか?

 

樋口 都会暮らしをしていた頃、蛇口のハンドルをひねれば必ず水が出てくるものだと思っていました。もちろん水道局にそれなりの代金を払っているわけだから、それは当然のサービスなのですが、それをいいことに歯磨きや皿洗いの間、蛇口から水を出しっぱなしだったり、今にして思えばなんて罰当たりなことをーー。

 

もちろんこちらに移住してきて、すぐに意識が変わったわけではありません。井戸水を日常に使う我が家は、まさに“蛇口をひねれば天然水”。都会のみなさんがお金を払って買っているミネラルウォーターが、家庭の水道からいくらでも出てくる。ところがその本当の価値がわかったのは、ある日突然、井戸が使えなくなってからのことでした。

 

今の井戸は水中ポンプを電力で動かして給水するものがほとんどです。ということは、停電になれば水が使えなくなる。のみならず、ポンプの故障や、地下における何らかの変動で揚水(ようすい)ができなくなることもあります。そうして、ようやく水という有限な資源の価値がわかってきました。

 

たった一滴の雫(しずく)から小さな流れが生まれ、沢になり、川となってやがて海に注ぐ。海から雲が生じ、山に雨を降らせる。その自然の大いなる循環の中に、人間という小さな存在があります。しかも我々の体の六十パーセントは、その水でできている。水は命の根源であり、地球という惑星そのものだともいえます。作品を一読して、そのことをあらためて意識していただけたら幸甚(こうじん)です。

 

 

■今年は台風などによる水害が多々生じております。身の回りのご状況や報道を通じて、思うことなどがあれば伺わせてください。

 

樋口 水は生き物にとって不可欠な命の源であり、また一方で生命を脅かす恐ろしい存在にもなります。台風19号の被害が各地でいまだに収束していない状況ですが(インタビュー時点)、大自然の猛威を目の当たりにして、人間という生き物の卑小さがいやというほどわかりました。

 

我が家も大雨に見舞われました。山間部に暮らしている以上、何よりも怖いのは崖崩れや鉄砲水などです。家の傍の沢はかつて土石流が発生したこともあり、危険地域に指定されているため、大雨のたびにひやひやしています。

 

私の住む北杜(ほくと)市は、昭和34年の7号台風による大水害ですさまじい被害を受けました。そのため今、川はコンクリートの堰堤(えんてい)がまるでドミノのように並ぶ景観となっています。

 

しかし果たしてそれで水害が治まるのか。今回、ダムの緊急放水問題が話題となりましたが、人工建造物によって水を堰(せ)き止めるという思考から、そろそろ脱するべきではないかと私は考えます。力尽くで水を堰き止める堤ではなく、かつての武田信玄による治水のように、むしろよそへ水を逃がすための堤を築き、増水をコントロールする。そうした昔の叡智に立ち返るべきではないか。

 

川は地球の毛細血管といえます。山の栄養を海に運び、海の幸を作る。つまり本来、川は氾濫することに意味があるんです。ところがダムはまるで脳血栓のように、その血管を詰まらせている。だから今は海の漁師たちが山に植林をしにやってくるようになりました。そのことに注目して、これからの治水を見直すべきだと思っています。

 

■最後に、読者へのメッセージをお願いします。

 

樋口 毎日、ふつうに蛇口から出ていた水。それがあるとき、ぱったりと止まって出なくなったとしたら、あなたならどうしますか? 水道局や行政担当に苦情を入れる? ペットボトルを買い占めにいく? それともーー。

 

しかもそれが一時的なトラブルではなく、思った以上に深刻な事態が隠されていたとしたら……。

これは作者の想像の中だけのものではない。戦慄は日常の中にこそある。

あなた自身にも、いつか起こりうる出来事なのです。

 

『サイレント・ブルー』

樋口明雄/著

(本体1800円+税)

 

【あらすじ】八ヶ岳南麓の高原でレストランを営む秋津俊介と妻の真琴。ふたりは病気がちの息子を案じ、東京から八ヶ岳市の分譲住宅地に移住する。豊かな自然は愛息に健康をもたらし、近隣の移住者たちとの関係も良好で、充実の日々が続く。だが、蛇口から流れる水が突如薄茶色に染まり使用不能に。地元の飲料会社の過剰取水が原因ではと疑う秋津らは企業に直談判するが相手にされず、状況は深刻さを増す。住民は水を取り戻すべく立ち上がる!

 

樋口明雄(ひぐち・あきお)
1960年山口県生まれ。雑誌記者などを経て作家デビュー。南アルプス山麓に居を構え、執筆の日々を送っている。2008年、『約束の地』で第27回日本冒険小説協会大賞と、第12回大藪春彦賞をダブル受賞。主な著書に『ドッグテールズ』『許されざるもの』『ドッグ・ラン!』『風に吹かれて』『ダークリバー』。『天空の犬』に始まる山岳小説の人気シリーズ「南アルプス山岳救助隊K-9」などがある。

 

小説宝石

小説宝石 最新刊
伝統のミステリーをはじめ、現代小説、時代小説、さらには官能小説まで、さまざまなジャンルの小説やエッセイをお届けしています。「本が好き!」のコーナーでは光文社の新刊を中心に、インタビュー、エッセイ、書評などを掲載。読書ガイドとしてもぜひお読みください。
【定期購読のお申し込みは↓】
http://kobunsha-shop.com/shop/item_detail?category_id=102942&item_id=357939
関連記事

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitterで「本がすき」を