akane
2019/12/09
akane
2019/12/09
4、5年前、まだ私が世界でも特に貧困に苦しむ女性たちの家事負担の状況に注目していなかった頃、チャンパという女性の話を聞く機会がありました。
22歳のチャンパはインド中央部のある集落で、夫と義理の両親と3人の子どもとともに2部屋の小屋で暮らしていました。私たちの財団のインド支部で初の支部長を務めたアショク・アレクサンダーはある朝、複数の医療関係者とともにチャンパのもとを訪れました。チャンパのラニという名の2歳の娘が急性栄養失調になり、ただちに治療をしなければ死亡する恐れがあったためです。
アショクたちが到着すると、チャンパはラニを腕に抱えて家から出てきましたが、その顔はパルで覆われていました。パルはヒンドゥー教徒の特に保守層の女性が、男性との接触を制限するために身に着けるものです。チャンパは自分では読めない薬の説明書を手にしていて、アショクに差し出しました。
アショクは説明書を受け取り、ラニの様子を見ました。ラニは極度の栄養失調で足は棒のように痩せ、母親には対処のしようもない状態でした。通常の食事を口にすることもできなかったのです。栄養強化食を慎重に少量ずつ摂取させる必要がありましたが、その村の環境ではできません。頼れるのは地域の栄養治療センターだけです。そこに行けば、2、3週間で健康な状態に戻るはずです。しかしセンターへ行くにはバスに2時間乗らなければならず、ラニとチャンパは2週間は滞在することになります。チャンパの義父は、こう言ったそうです。「チャンパは行かせられない。家族の食事を作らなくちゃならないんだから」
チャンパは女性の医療関係者にさえパルを外さないまま、そう説明しました。子どもの命がかかっていても、義父には逆らえないのです。
アショクは、義父に会わせてほしいとチャンパに頼みました。そして、地面に寝転がりながら手作りの安酒を飲んでいる義父を見つけ、こう言いました。「治療をしなければお孫さんは死んでしまいます」
しかし義父は態度を変えません。「チャンパを行かせるなんて話にならない。2週間も家を空けるなんて」
このままではラニは死んでしまうとアショクが再び訴えると、今度はこう返しました。「神は子どもを連れ去れば、必ず代わりに別の子どもを授ける。神は偉大で寛大だからな」
料理を始めとしたチャンパの役目を代わろうとする家族は、誰もいませんでした。子どもの命が危険にさらされている時でさえ、家族も誰も、代わりに家事をしようとする意志や能力を持っていないのです。
そこで医療関係者たちはチャンパが家に留まり家事をこなせるよう、自分たちでラニをセンターへ連れていき、治療を受けさせて命を救いました。ラニは幸運でしたが、他の多くの子どもの母親も同様に、家事をこなす義務や社会規範に縛られて子どもを守れない状況にあります。
アショクは後日、私たちにこう語りました。「特別なケースではありません。同じようなシーンは何度も目にしてきました。女性は権利も力も持っていません。ただ料理や掃除をする役目を課され、我が子が腕の中で息絶えるのを見ていることしかできず、他人に顔を見せることもできないんです」
来る日も来る日も無償労働に明け暮れる女性は、人生の夢を奪われてしまいます。無償労働は子育てを始めとした家族の世話や、料理、掃除、買い出し、使い走りなど、家庭で行われる報酬の発生しない労働を指します。多くの国の電気や水道設備のない地域では、女性や少女は水を汲みに行ったり薪を集めたりする仕事もこなさなければなりません。
世界の何百万人もの女性がそうした現実の中で生きています。特に、家庭を支える無償労働の多くを女性が担う貧しい国々では、より厳しい現実があります。
世界全体で見ても、女性の担う無償労働は男性の2倍以上だという調査結果が出ています。しかしそれはあくまで平均で、実際には大きなばらつきがあります。インドでは女性が無償労働に1日6時間を費やす一方、男性は1時間未満です。アメリカでは女性は4時間以上、男性はちょうど2.5時間です。ノルウェーでは女性は3.5時間、男性は約3時間です。男女差のない国はありません。寿命で換算すると、女性は男性より7年長く無償労働をしていることになります。学士号や修士号の取得も可能なほどの期間です。
女性が無償労働に費やす時間が減れば、報酬のある仕事をする時間を増やせます。実際、女性の無償労働の時間を5時間から3時間に減らすと、女性の労働人口は約20パーセント増加します。
女性を男性と同等の地位まで押し上げ、力を与え自立を可能にするには、有償労働はとても大きな意味があります。そのため、無償労働における男女格差が深刻な問題となってくるのです。家庭での無償労働は、女性の地位を向上させる活動を妨げてしまいます。より高度な教育を受けたり、社会に出て働き収入を得たり、他の女性たちと会ったり、政治活動をしたりする機会が得られなくなるのです。不平等な無償労働は、女性の地位向上の妨げとなります。
もちろん無償労働の中にも家族の世話など、人生を意義深くするものもあります。それが家庭内で分担されているなら、疑問は感じません
私は無償労働の概念について考えることで、自分の家庭に対する見方も変わってきました。正直に言って、私は長い間、子育ても家事も他人に頼りきりでした。他の家庭が、仕事と家庭を両立させるためにどれほど苦労しているのか、全て知っているとはいえません。世間を代表してコメントできる立場にはありませんし、自分の経験は参考にならないとも思います。しかし我が家でも無償労働の男女差があるのは実感しています。子育てには多くの労働がついて回ります。学校や病院、スポーツ教室、演劇のレッスンに連れていき、宿題を見て食事を見守り、友だちの誕生日パーティーや結婚式、卒業式などで家族ぐるみの付き合いをしたり。様々なことに時間をとられますし、いろんな場面で疲れ切って、ビルに「手伝って!」と助けを求めてきました。
2001年秋にジェンが保育園に入園する際、とてもいい保育園を見つけたのですが、車で橋を渡り30~40分かかる場所にありました。送迎で1日2往復しなければならないため、運転に多くの時間をとられてしまうとビルに愚痴を言ったところ、こう返されたのです。「時々、僕が代わるよ」「本当? やってくれるの?」「うん。ジェンと話す時間もできるしさ」
そしてビルも週2回、送迎をするようになりました。家を出てジェンを保育園で降ろし、引き返して家の近くを通り過ぎ、マイクロソフトに出勤するのです。そして3週間が経った頃、私は教室まで子どもを送ってくる父親の数が増えているのに気づき、一人の母親にききました。「ねえ、どうしたの? 送ってくるお父さんがこんなに多いなんて」
すると彼女は答えました。「私たち、ビルが送ってるのを見て、帰ってから夫に言ったのよ。『ビル・ゲイツは子どもを保育園に送ってるんだから、あなただってやればいいじゃない』って」
女性は男性より優れているとか、世界をより良くするための最善の方法は男性より女性に力を持たせることだとは、決して考えていません。誰かが優位に立つこと自体が害悪なので、男性優位の風潮は社会にとって害悪だと思うだけです。誰かが優位に立つとは、能力や努力、才能や実績ではなく、性別や年齢、資産、信仰によって権力や機会が与えられる誤った階層構造に支配された社会であることを意味するからです。特定の人々を優位に立たせる文化がなくなれば、全員の力を活用できます。ですから私の目標は、女性を高みに押し上げ男性を引き下ろすことではありません。どちらが優位に立つか競い合う関係から男女を解放し、双方を高みに押し上げようとしているのです。
しかし目標が男女の対等なパートナーシップなら、なぜ私はこんなに女性に目を向け、女性の地位向上に熱意を燃やしているのでしょう? その答えは、一つには女性は互いの強さを引き出し合えること。二つ目に女性は、対等なパートナーシップを築く前に、まず自分たちにはその価値があると自覚する必要のあるケースが多いことにあります。
対等なパートナーシップ構築への取り組みは、男性のみでは提案されません。もしそんなことがあれば、既に対等な関係は実現しているでしょう。支配的な男性は、こんなセリフは口にしないはずです。
「対等にやろう。俺の権限をいくらか譲ってやる」
しかし他の男性がスタンスを変えるのを見たり、自分の権限を主張する女性に出会ったりすれば影響を受けるかもしれません。女性が力を得るメリット、つまり、女性は男性にはできないことができるというメリットだけではなく、上下関係のあるパートナーシップが対等に変われば関係が良質になるというメリットに気づいた時、男性の考えは変わります。あなたが大変な時は私がサポートし、楽な時は私をサポートしてくれるという信頼のもと、絆や親密さ、帰属感、連帯感、一体感が生まれるのです。それが人生で最高の、愛し合い手を取り合う経験をもたらします。それぞれが別々にもがいている男女にはできない経験です。女性が自ら主張して手に入れる経験が、上下関係のあるパートナーシップを対等に変えていきます。だからこそ、女性は互いを高め合う必要があるのです。階層社会の上部に立つ男性にとって代わるのではなく、男性と手を取り合って階層社会を終わらせるのです。
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