ryomiyagi
2020/05/26
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2020/05/26
※本稿は、野村晋『「自分らしく生きて死ぬ」ことがなぜ、難しいのかーー行き詰まる「地域包括ケアシステム」の未来』(光文社新書)の一部を再編集したものです。
ここで、今一度、これからの日本の社会の状況と課題を確認したい。
社会的な状況としては、やはり、少子高齢化と、それによる人口減少の2つが、社会を大きく変えていくということに尽きるであろう。
今後は、この2つの現象により、
・医療費などの社会保障関連経費の増加が進み、個人や企業の経済的負荷が増加する。
・現役世代の労働者が減少するため、1人当たりの生産性の向上が求められ、その結果として人的負担が増加する。
という2つの課題が生じていく。
これらの課題は、国や地域が発展していくために必要なエンジンである「お金」と「人」の2つに関係するものであるから、国や地域の発展、持続可能性という部分に深刻な影響を及ぼしていく。なお、この2つの課題は、程度の差こそあれ、今暮らしている人々の生活にも徐々に表れてきている。
1つ目の課題である社会保障費の増加を抑え、最適なものとする対策は、昔から言われているとおり、とにかく、国民一人ひとりが健康であること、であろう。
しかし、昔とは異なり、今の時代では、医療の進展、高齢化、人々の生活の成熟化により、完全に病気をしない人などは存在せず、また何らかの病気を抱えて暮らしている人が少なくない状況になっている。
これからの時代は、病気と付き合いながら生きていくことになることに留意して、「健康であることとはどういうことなのか」を考えなければならない。
日本人の健康や疾病の状況を見ると、生活習慣を要因とする疾病が、死因の上位を占めており、その疾病罹患リスクは、35歳以降、右肩上がりとなっている。
これは、35歳から何らかの疾病や疾病リスクを抱えている人が一定数存在し、年齢を重ねるに従って、その層が増えていくということである。
また、高齢化によって、「老い」による衰弱の状態の悪化、いわゆる「フレイル」の状態の人も一定数存在している。さらには、高齢者になると、生活習慣の悪化が引き起こす疾患に複数罹患しているケースも増えていく。
加えて、がんは2人に1人が罹患するなどと言われているが、一方で、医療技術の進展によって早期発見が可能になり、がんの治療と仕事や日常生活を両立させる人も多くなってきており、がんサバイバーも増えてきている。
このように、今後、日本では、多くの人は何がしかの疾患、または疾患リスクを抱えて暮らすこととなるのである。こうした中にあっては、人々は、病気と向き合いながら、いかに自分らしく暮らしていくか、いかに生きがいを作り出しながら生活を送るか、を考えることが重視されるようになる。
疾病を完全に治癒することも重要であるが、それに加えて、生活の質をより良いものにすることに重きが置かれるようになっていくのである。
個人の生活の様子をイメージしても、生きがい(生きる中での目標や楽しみにしている出来事)を持つことで、入院しても、早期退院を患者自身が希望したり、リハビリを積極的にしたりといったことにつながることは容易に想像できるであろう(実際に筆者の母親も、仕事復帰や孫と元気に遊ぶ時間を確保したくて、早期退院とリハビリに積極的になっていた)。
自分らしく暮らしていく、生きがいを作り出しながら生活を送る、こうしたことが、究極的には、保健医療の介入を減らしていくことにもなっていくのである。
こうしたことを踏まえて少し整理すると、これからの時代の「健康であること」とは、
・保健医療の介入がない、または、一定の介入が継続している中で、
・自分のやりたいことに多くの時間を割き、生き生きと暮らしている状態。
ということになると解するのが自然であると筆者は考える(オランダのポジティブヘルスに近い考え方と受け止めていただくと理解しやすいと思う。以下、本書では「健康であること」はこの状態を指すこととする)。
そして、この「健康であること」が維持できれば、保健医療の介入も、一時的に大きくなることはあっても、長く継続しないということになるだろう。
つまり、社会保障関連経費の増加への対応としては、「健康であること」を維持できる体制を整備すること、ということが一番大切になると言えるであろう。
今までの医療提供体制は、治癒を徹底的に追求するヘルスケアシステムである。このため、治療効果を追求し、高度医療技術を有する病院が中心となった医療提供体制であった。
当然、こうした治療効果の追求は、今後も必要だ。たとえば、iPS細胞やがんゲノム医療など、今までの技術では困難だった治療を可能にする技術を、いかに広く市民に提供できるかを考える必要があるし、また低侵襲(体に負担のかからない)医療のように、患者の身体的負担の軽減を図る医療技術が積極的に取り入れられることは、非常に重要である。
ただし、高齢化や医療技術の進展、国民生活の成熟化などにより、NCDs対策が中心となる中では、一切病気のない人は少なくなるのだから、今後の人々が求める暮らしの姿としては、疾病を抱えながら(医療と何がしかの関係を持ちながら)自分のやりたいことに多くの時間を割いて生き生きと暮らす状態が最も望ましい。
これを実現しようとする中では、医療は「疾病治療」に注力するだけでなく、治癒を追求しつつも、本書で言う「健康であること」を実現する方策を考える方向に変わる必要がある。
なお、この「健康であること」の実現の必要性は、高齢者に限らない。高齢化を機に議論されることだが、子どもや現役世代、障害を持つ方であっても同様に必要なことであり、治療という部分だけではなく、自分らしく生き生きと暮らす生活をどう成していくかについて、市民全体で医療のあり方を議論していく必要がある。
具体的には、「健康であること」を実現する医療としては、疾病のみを見るのではなく、その人の心身、生活、家族などを含めた全体像の把握を意識した上で、どんな医療の介入(必要であれば福祉の介入も含め)が、その人らしい暮らしを実現するかを考えることになるだろう。
もちろん、完治の可能性があるのならば、それを目指す治療を進めることが第一義になることについては何ら変化の必要はない。ただ、その時、治療による副作用などを踏まえ、たとえば子育てをしている人であれば、治療をしながらの子育てでどこまでのことができるのかなどについて一緒に考え、どういう支援があれば少しは治療と子育てが両立できるのかなどを福祉の介入も頭に浮かべながら解決に導いていくことを示唆するなど、あっても良いのであろう。
患者の疾病だけを見るのではなく、患者の生活全体に目配りし、個々の生活を健康の観点からマネージしていくようなことが求められるのではないだろうか。
「自分らしく生きて死ぬ」ことがなぜ、難しいのか
野村晋/著
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