革靴の手入れは父から習った。 私服の女子校で「服育」の洗礼を受けた。 錆びない「リタ・ベーシック」のルーツをひもとく
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ryomiyagi

2020/05/26

大人に「美しい」「心地よい」スタイリングが、世代を超えた女性たちから絶大な支持を受けているスタイリストの高橋リタさん。今も昔もブレることのない、クリーンで知的な品格のあるスタイルはどのようにして生まれたのでしょうかーー。
質実剛健な父のもとで育った少女時代から、制服がなかったゆえにTPOが身についた女子校時代まで、“スタイリスト高橋リタ”のルーツともいえるバックグラウンドを探ってみました。

 

※本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです

 

 

「私が育ったのは、いわば海外との距離感が近い家庭。父はドイツの航空会社勤務、叔父はカナダ移住、叔母はアメリカに嫁いでいて、物心ついた頃から自然と外国文化になじんでいました。初めてのお人形ごっこもリカちゃんじゃなくてバービーちゃん。でも当時、私はリカちゃんが欲しかったので、5年前にコラボのお話をいただいたときは、やります!ってふたつ返事(笑)でOKを。リカちゃんの服をディレクションすることで、“食育”ならぬ“服育”ができればいいなと思ったのもお引き受けした理由のひとつ。というのも私は小、中、高、短大と制服のない私立の女子高に通い、そこで学んだことはまさに“服育”だったなと感じていたからです。学生らしい清潔感があって、華美でも高価でもなく、でも上質で着回しが利くベーシックな服を選ぶこと、キャンプやハレの日のクリスマス礼拝には何を着るべきかというTPOも学びました。
トラッドを着始めたのは小学校3,4年生くらい。母が選んだVANの子供服を自分でも好んで着ていました。お洒落に目覚めたのもその頃だと思いますが、幼稚園の頃に中がギンガムチェックのバスケットをもってウキウキしていたときから、お洒落好きははじまっていたのかも。私の父はなにしろ質実剛健なドイツ気質の人だったので、小学校の頃から父と一緒に靴を磨いていたし、キチンと片づけをしないと叱られる。自分が身に付けるものは、母任せにせず、すべて自分でお手入れしていた父。メンズのこだわりなど、お洒落の基本のキは父の姿を見て学んだと思います。
小学校の頃は体が弱くて人見知り。最初は女子校になじめなくて、神経性胃炎で入院したこともあるような子供でしたが、高校生になってからは歴代の派手な先輩たちが集まっているアナウンス部に入部。制服はなかったけど、みんなでお揃いのチェックのスカートやオリジナルのスタジャン、ウインドブレーカーを作って“制服ごっこ”を楽しんでいました」

 

お洒落なコが集まっていた女子高のなかでも、センスの良さで有名だったリタさん。高校3年生のとき、読者モデルとして『JJ』に初登場。短大時代は毎月のように誌面を飾り、卒業後には『CanCam』編集部に誘われて記者の第一号に。ほどなく“スタイリスト高橋リタ”が誕生します。

 

リタさんにとって約10年ぶりとなるプライベートスタイルブック『スタイリスト 高橋リタの偏愛ITEM100』では、あえて自ら「偏愛」と呼ぶ、自分のために選び抜いたファッション&ライフスタイルのスタメンアイテムを惜しげなく100個公開! パールジュエリーからビーチサンダル、チーズケーキに至るまで、すぐに真似したい、いつか叶えたいエッセンスがいっぱい。歴代のお気に入りアイテムをイラストで振り返るファッション年表や、楽しいQ&Aコーナーなど、憧れのリタさんを身近に感じられるコンテンツも満載。そのファッションポリシーのルーツが知れる少女時代から、現在までを語ったロングインタビューも必読です。

 

高橋 リタ

スタイリスト シンプルベーシックを軸としながら、旬の気分が絶妙なさじ加減でブレンドされた品良く心地よいスタイリングが、年代を問わず幅広く女性の支持を集める。女性誌『Oggi』や『Precious』などで活躍、そのブレないスタイル提案、長く愛せるアイテムを選び取る審美眼が不動の人気を集めている。東京と七里ヶ浜を行き来する二拠点のライフスタイルを送り、SNSも常に注目の的。ファッションディレクターとして、各ブランドとのコラボも手がけている。

 

写真/長山一樹(S-14) 取材・文/駿河良美

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