ryomiyagi
2020/08/31
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2020/08/31
「学校の先生の助けを借りながら、私も母親として、あの子が学校で少しでも過ごしやすくなるよう、私なりの工夫をしました」
こう話すのは秋田県潟上市で美容室を営む菊地ユキさん(51)。
地域で初めて発達障害の診断を受けた長男・大夢くんを育て、苦労の末に東大の大学院に入れたシングルマザーだ。
8月19日に、これまでの育児のことをまとめた『発達障害で生まれてくれてありがとう〜シングルマザーがわが子を東大に入れるまで』(光文社)を上梓した。
学校生活において、さまざまな困りごとを抱えていた大夢くん。なかでも、とくに苦手なことがあって。著書のなかで菊地さんは次のように書いている。
《大夢はなにごとも「初めて」が苦手です。それは大夢をずっと注意深く観察していて気がつきました。あれ? この子、来たことないところへ来ると、落ち着きがなくなるんだ、知らない人がいると、ソワソワしだすんだ、って。》(本書より)
そこで菊地さん、忙しい美容師の仕事の合間を見つけては、可能な限り大夢くんの「初めて」に、事前に付き合うことにしたという。
学校の体育館にオーケストラを招いて開かれる音楽鑑賞会。そもそも全校生徒が集まるような場所では落ち着きをなくしてしまう大夢くん。ましてや初めての音楽鑑賞会なんて……、そこで菊地さんは大夢くんをコンサートに連れ出したという。
《ちょうど、X−JAPANのTOSHIが、秋田に弾き語り公演に来ていて。そのチケットが手に入ったのです。
「あんたね、ここで2時間、黙って椅子に座って聴いていられれば、今度の音楽鑑賞会も絶対大丈夫だからね」》(本書より)
結果、コンサートも、音楽鑑賞会も、大夢くんは問題を起こすことなく過ごすことができたという。
そのほかにも、マラソン大会のコースや、遠足で訪問する場所も、事前に親子で歩いた。
《大夢にとって初めての場所に行く遠足。行った先で万一パニックを起こして行方不明になったりすると、先生たちに多大な迷惑をかけることになります。なので私は、事前に先生に遠足の行程を聞いておいて、何日か前にまったく同じコースに大夢を連れだしました。
「いい? さっきのお寺を見て、それからハイキングコースを皆で並んで歩いて、そこの広場まで来たら、皆でお弁当、食べるからね」
事前に遠足のコースを歩いたことで、大夢は「あ、ここ知ってる」と思えて、少しは落ち着いた行動がとれるようになったと思います。》(本書より)
さらに欠かすことができなかったのが、運動会の予行演習だった。
「大夢にとっては初対面の、大勢の父兄が応援に来ますよね。初めて、しかもたくさんの人の歓声……、もう、落ち着きをなくしたあの子が、明後日の方向に走り出す姿が容易に想像つきますから」
菊地さんはこう言って、当時を笑顔で振り返る。著書ではこう綴っている。
《そこで私は、前日に大夢と2人で学校のグラウンドに行きました。
「あんた、明日の50メートル走のときは、まずここに立って、先生の『よーい、ドン!』で、あそこまで走るの、わかった?」》(本書より)
大夢くん、記憶力は抜群に良かったという。だから、小学校1年、2年、3年と、運動会の予行演習&本番を体験したことで、少しずつ運動会というイベントにも慣れて、予行演習をしなくても、本番に臨めるようになったという。
《「あ、これは去年もやったやつだ」と覚えていてくれたんだと思います。
小学校高学年になって、予行練習なしで無事に徒競走に参加できるようになった大夢を「よし、1つ成長した、えらい!」と、そんなふうに応援したものです。
よその親御さんたちは「一等賞目指して、がんばれ!」って、声援を送っていましたけど。うちでは前の晩に「明日の徒競走、ビリになれるかな?」って。
もちろん、結果は本当に毎回、最下位でしたけど。私たち母子は、ほかの皆とはまったく違う競技に臨んでいた、そんな気がしています。》(本書より)
こうして大夢くんは、母親である菊地さんの助けを借りながら、多難な小学校時代を無事に乗り切ったのた。
ライター仲本剛
『発達障害で生まれてくれてありがとう』
菊地ユキ/著
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