発達障害の子どもを東大に入れたシングルマザー「才能のひらき方」(2)友だちなんてできなくていい
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ryomiyagi

2020/08/24

著者の菊地ユキさん、大夢くん

 

「この先、あの子をどう育てていけばいいのかと思い悩んでいたころ、主治医の先生にかけられた一言に、私は目から鱗が落ちる思いでした」

 

こう話すのは秋田県潟上市で美容室を営む菊地ユキさん(51)。
シングルマザーの菊地さんは、地域で初めて発達障害の診断を受けた長男・大夢くんを育て上げ、経済的にも時間的にもまったく余裕のない暮らしのなか、苦労の末に東大の大学院に入れたのだ。

 

8月19日には、これまでの子育ての苦労と喜びを綴った『発達障害で生まれてくれてありがとう〜シングルマザーがわが子を東大に入れるまで』(光文社)を上梓した。

 

小学校1年生で「ADHDの疑いあり」という診断を受けた大夢くん。2年生のときには、県立の療育センターを受診し、脳波測定などを経て診断が確定した。このとき、大夢くんを担当したのが、その後、十数年にわたって親子が世話になるH医師だった。

 

診断が確定しても、大夢くんの状況が突如好転することなどあるはずもなかった。
当時の彼は、忘れ物が異常に多く、感情表現が上手にできず、些細なことで友だちに暴力を振るってしまっていた。学校では授業中、突然立ち上がり授業と関係ないことを話し出しては先生や級友を困惑させてばかりいた。また、親子での外出時も、学校の教室でも、地面や床にゴロゴロと寝転がって、菊地さんや先生がいくら注意しても起き上がろうとしないことも、たびたびだった。

 

「友だちなんてできなくていい、1人で生きていく術だけを身につけさせなさい」という主治医の言葉

 

定期的に通う療育センターで、菊地さんは主治医に、大夢くんの困りごとについて、その都度、相談してきた。著書のなかでも、次のように振り返っている。

 

《あるとき、私はH先生に「大夢は友だちができないんです」と、相談したことがありました。
「よその子どもと遊んでいても、この子はちょっとしたことですぐ殴ったり蹴ったりしてしまって。だから、大夢には本当の意味の友だちがいないんです」
するとH先生は真顔でこういうのです。
「それは素晴らしいことです」
私は、先生の言葉がすぐには理解できなくて。一瞬、「???」となりました。
「先生、この子は友だちもできないし、勉強だって……授業もまともに受けられないからきっとダメだし。たぶん、この先、生きていく価値もないと思うんですけど」》(本書より)

 

長男の診断が確定したからといって、彼女の絶望感は少しも癒えていなかった。

 

《来る日も来る日も、大夢の将来を悲観し、それでも目の前で繰り返される問題行動に手を焼き続け、怒鳴り散らし、不安とイライラで気持ちはいっぱいいっぱいでした。ひとりになると、知らず知らずのうちに涙が溢れてきました。》(本書より)

 

だから、菊地さんはつい、大夢くんのことを「この先、生きていく価値もない」などと口走ったのだ。食い下がる母親に、主治医は諭すように、こう続けたという。

 

《「それは違いますよ。お母さん、たいがいの悪いことは、友だちから学ぶものです。だから友だちなんていなくたっていいんです。お母さん、あなたが大夢くんに教えるただ1つのことは、1人で生きていく術だけです。勉強も教えなくていい。友だちと遊ぶことも教えなくていい。かけっこが1番になる必要なんてない。ただ1つ、将来1人で生きていけるように、その方法だけを考えて、教えてあげればいいんです」
そのときは「はあ、そんなもんですか?」と、半信半疑で聞いていました。でも、このときのH先生の言葉に、その後、私はどれだけ救われたかわからないのです。》(本書より)

 

「本当に当時、すぐにはH先生から言われたことをきちんと理解できませんでした」と、菊地さんは、当時を振り返って苦笑する。
だが、著書のなかに彼女が綴った、その後の親子の道のりを改めて読んでみると、菊地さんはH医師の言葉をなぞるようにして、大夢くんを導いていったのが、よくわかる。

 

そして、現在。
大夢くんは、母親が暮らす秋田から遠く離れた東京で暮らしているのだ。自分1人で、自分自身の特性と折り合いをつけながら。

 

ライター仲本剛

 

発達障害で生まれてくれてありがとう
菊地ユキ/著

 

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