「お金の心配はするな!」幸せな老後のために「してはいけない」5つのこと(前編)
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BW_machida

2020/12/28

 

2017年9月、首相官邸に「人生100年時代構想委員会」が設置された。これは、これまでの「60歳定年」を踏まえた「20年学び、40年働き、20年休む」という目安ではない、新たな人生設計を必要とする時代が到来したことを知らせる動きと言えるだろう。

 

そうして世には、「老後を楽しく過ごすための」的なタイトルを並べた提唱本が軒先を賑わしているが、それらに大差はない。いずれも、「お金」「熟年夫婦生活」「再雇用」「趣味」などの重要性を仰々しく並べ立てている。

 

そんな中、同じく提唱本であろう『定年前、しなくていい5つのこと』(光文社新書)を手に入れた。そこにはなんと、同様のタイトルの書籍が唱える重要性を、全く違った視点で切り割く興味深い考察が並んでいた。60の大台(?)を迎えた私にとっての関心事は、2000万とも3000万ともいわれる老後資金である。幸せな老後を送るには、幾ばくかの貯金や受け取れるはずの年金に加えて、さらに数千万円もの資金が必要と言われている。

 

「今さら、そんなことを言われても…」

 

そんな具合に、途方に暮れている方も多いはず。何を隠そう私がそうである。
周囲の同輩は、フリーランスなら手堅い副業(多くが単純作業)、サラリーマンなら再雇用か投資の類を口にする。それもこれも、老後資金の必要性に駆られてのことである。
ネットを探れば、そこには「シルバー人材」だの「老後の資金運用」が数ページにわたって並んでいるし、書店に行けば、さらに具体的に、老後はおろか定年を意識し始めたころから始めなければいけない(?)老後対策本がひしめいている。

 

そこには不安を煽るような文言ばかりが目につくが、果たして本当だろうか。
本当に、私たちの老後は……幸せに送るのは難しいのだろうか。

 

お金の心配、する必要はナシ!

 

本書を開くと、まずは最大の悩みの種「お金」に関するキーワードが飛び込んでくる。
本当ならば、これほどうれしく心強いメッセージはない。ページを繰る手にも力がこもる。

 

金融庁の金融審議会、市場ワーキング・グループの報告書「高齢社会における資産形成・管理」によれば、「まだ20~30年の人生があるとすれば、不足額の総額は単純計算で1300万円~2000万円になる」という一説がある。これがそのまま喧伝され、「老後資金は2000万円足りない」という誤ったメッセージとして広まったらしい。

 

しかし報告書をさらに読み込めば、高齢夫婦無職世帯の平均純貯蓄額は2484万円であり、不足するとされている2000万円を補っても十分に余力を残している。とはいえ、ここで言う純貯蓄額はあくまでも平均値。持つ者は豊かに暮らせるし、持たざる者はその範囲内で暮らすしかない。と同時に、同報告書がデータとしている毎月の支出額は26万円であり、これはかなり高額だと思うのは私だけではないだろう。少なくとも地方都市に暮らす私の両親などは、この半分ほどで、つましいながらも恥ずかしくない生活をしていた。

 

確かに、この報告書が基準とした暮らし振りから逆算して、今後の生活基盤を考えれば、それだけで「2000万円不足説」は氷解するはずだ。

 

むしろ「年金だけでは食べていけない」と煽られて、不慣れな投資にわからないままお金をつぎ込んでしまうことの方がよほど恐ろしいことです。

 

そして、年金制度が破綻しない根拠として、日本の年金積立金は約200兆円(2019年12月現在)近い額を有しており、これは毎年の支払額の4.9年分であり、他国と比較すると、フランスはほぼ無く、ドイツ・イギリスがおよそ2か月分、アメリカが3年分であり、日本は余裕をもって運用できていると年金不安を払しょくする。

 

しかもこの積立金、過去20年近い間に何と75兆円も増加しているのです。

 

そして著者が、「これだけは絶対やってはいけない!」と警鐘を鳴らすのが「退職金投資デビュー」だ。前述した「2000万円足りない老後資金」だとか、現役世代の減少による年金不安などのニュースを見るたびに、資金運用が脳裏をかすめるのは私だけではないだろう。そして退職金を手にした頃に、次から次へと現れるのが「投資」と言う名の資金運用の勧めである。どうやら、これに手を出してはいけないらしい。なぜなら……、

 

実は「退職金は余裕資金だ」と勘違いしている人は少なからずいます。サラリーマンにとっては、毎月決まった給料日にお金が振り込まれ、それが生活資金になっています。

 

確かに、毎月決まった日に決まったお金が振り込まれているならば、それは余裕資金と言えるだろうが、退職して定期的な現金収入をなくしてしまった以上は、これこそが生活費であり、必要に応じて取り崩していくものに他ならない。それを、さしたる知識もないままに運用するなど、余りにもリスキーだ。

 

とにかく、老後に必要なのは現金。

 

今は亡き義父が、生前よく「子どもや孫が優しいのはお金が有るうちよ」と笑っていた。まだその歳には遠いが、それでも還暦を迎えた今となっては身に染みる言葉である。

 

次いで著者は、

 

サラリーマン脳は捨てよう!

 

と、世の中の大半を占めるサラリーマンに謎の警鐘を鳴らす。
果たして、著者の言うサラリーマン脳とは何か?

 

それは、仕事を「大変なもの」「辛いもの」と捉えていた、サラリーマンだった頃の記憶である。現役サラリーマンとして、仕事の最前線に立つということは、成績は言うまでもなく、部下や同僚、ましてや会社に対する様々な責任が伴う。イコール「大変なこと」である。

 

しかし、定年した後の仕事とは、それが再雇用であったなら、そこには良くも悪くもかつての責任や、ましてや権限は無い。そこで与えられる「仕事」とは、多くの場合「作業」でしかないのが悲しいかな現実である。

 

しかしながら、多くの人はこのように考えているのではないでしょうか。「そりゃあ定年になっても働かないと食べていけないから、仕方なく働くけど、本当はリタイアした後は、のんびりと好きなことをやって暮らしたい」
この気持ちはよくわかります。私も50代前半頃までは全く同じ考えでした。定年後もこんなしんどい仕事をするのは絶対嫌だと思っていたのです。

 

しかし現実は、現役の頃に味わったような、ひりひりする焦燥感や責任は無く、ある種の高揚感をもたらした権限はおろか成績すらも伴っていないのが再雇用によって得られる現場でしかない。それを「解放」と感じる方もいるかもしれない。しかし、そんな解放感は長くは続かない。それどころか、日々の仕事に張り合いもなければ、なんら楽しさを感じなくなってしまうに違いない。

 

そこで著者が、改めて勧めるのが独立することであり、起業である。

 

定年になった後の働き方として三つのパターンがあるということは前述したとおりです。(1)再雇用、(2)転職、(3)起業と言う三つのパターンについて、多くの現役サラリーマンは(1)の再雇用が一番簡単で、(3)の起業が一番難しいと考えているでしょう。
しかしながら、私の経験から言うと、それは全く逆で、(3)の起業が一番お気楽で楽しい働き方だと思います。

 

なぜなら、それまでのともすれば辛かったことが、自分自身の意思で決めることのできる「やりたい仕事」にかわるからだと続ける。

 

もちろんうまくいく時ばかりではありませんので失敗することもありますし、それについては自分で責任を取らなければなりません。でも自分で決めて失敗したことであれば、それは仕方ないし納得もできます。

 

要するに著者は、それまでに培った経験や知識をもとに、「本当はこんな風にしたかった」と思う仕事をするために起業の準備を勧めているようだ。そして何より、定年後に迎える日常生活において、「やりがいのある仕事」を手に入れることこそが幸せな老後を迎える必須条件でもあると言っている。

 

『定年前、しなくていい5つのこと』(光文社新書)が提案する、まずは2つのことを中心に感想を述べた。それはまさに、60歳を過ごした私自身の現実と等しくシンクロする極めて現実的な提言だった。残る3つは、後編で述べさせていただく。

 

文/森健次

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