BW_machida
2021/06/09
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2021/06/09
2012年1月18日。福島県南相馬市市民文化会館にて、東日本大震災における住民の救助活動中に命を落とした24人の消防団員を悼む慰霊式が行われた。24人は、浪江町など5市町の消防団に所属する23~50歳の団員だ。慰霊式では、遺族や団員や自治体関係者など、およそ800人が花を手向けた。
先日『幽霊消防団員』(光文社新書)という、全国の市町村に存在し、火事や地震・台風などで活躍する消防団が抱える闇の部分を是正するべく問題提起した一冊を手に入れた。
新聞記者の著者が、各地の消防団や自治体関係者に取材を重ねたレポートは、政治家や官僚ではない同じ町内で暮らす隣人が犯しつつある罪を暴き出す衝撃的な一冊だ。
TVニュースやワイドショーを見ながら、憤慨したりため息をついて終わらせてきた、どこか他人ごとのような公金横領や不正流用を、もしかすると自分の身内や友人が犯しているかもしれないと思わせる一冊だった。
「消防団を辞めようとしたんですけど、辞任届は出さなくてよいと言われまして。いわゆる『幽霊消防団員』なんです。幹部が地元の金融機関で、勝手に私の銀行口座を作ってきて、所属したままになっているので、報酬(給与)が都度出ています。他の団員に聞いたり調べたりしていくと、お金をプールして宴会の費用とかに使うためだと分かってきました」
最初は半信半疑だった。そんな簡単に不正請求ができるはずがない、という思い込みがあったからだ。
本書の前書きは、こんな生々しい告発から始まる。
読み進める私には、少なからず衝撃が走った。
何が衝撃だったかと言うと、それは告発の内容ではない。この告発と同様か、もしくは十分にこれを推測するに足るエピソードが鮮明に蘇ってきて、本書を読むまでそのことを「罪」として認識してなかった自分自身に対してだ。
四国の田舎町に生まれ、10代のうちに東京に出て以来30年を東京で過ごした私は、幸か不幸か消防団に所属したことは無い。東京で暮らしていれば、消防団のことなど全く意識せずとも暮らしていける。しかし、そんな私の幼馴染たちはそうではなかった。
成人した後も地元に残った彼らは、それぞれ地元で就職し、やがて結婚し子どもをもうけて父親として暮らしている。
つい先日も、久しぶりに郷里に戻った私を囲んでひとしきり昔話に花を咲かせてくれた。
集まったのは数人だが、彼らは皆実家を継いで大黒柱となっていた。すでに還暦を迎えた今も仲良くしているらしい彼らは、仕事こそ異なるものの、皆そろって地元の消防団に数年前まで所属していた。それを聞く私は、実際の活動がどれほどであれ、その地元愛に軽いリスペクトすら覚えたものだ。
消防団員の確保は災害時に被害を最小限にとどめることが主な目的であり、場当たり的に欠員数を充足すればよいという話ではない。職務の範囲が広いことから、正確な知識や技術が身についていなければ、自らの命さえを落としかねない仕事だ。
記憶に新しいのは、2020年7月の熊本豪雨災害で、短期間の増水で被害が一気に拡大した中、消防団が地域を回り、避難を呼びかけたことで一命を取り留めた住民の声が報道された。
消防団員の職務として、河川の巡回を条例や水防計画で明記している自治体は多い。地域防災のリーダーとして、最前線で被害状況を確認することもある。消防団員なしでは被害の正確な状況を把握することが難しい一方、地域に危険度を知らせたり、河川の水位を確認したりする団員は命の危険と隣り合わせだ。
中でも親しい友人Aは、地元の里山が山火事になった時に味わった恐怖体験を聞かせてくれた。広範囲にわたる消火活動は消防士のみでは手が回らず、消防団もその最前線で活動した。そして、必死に消火活動する彼は、いつしか周囲を火に囲まれてしまっていたらしい。その時の恐怖は今も忘れないという。
またある日、地元で起きた火事に駆けつけた地元消防団の様子を、現場に居合わせた隣のおばちゃんが語ってくれた。
なんと、現場に誰よりも早く駆け付けた我らが消防団の面々は、勇ましくポンプ車で乗り付けたはいいが肝心のホースを忘れたらしく、遅れて来た消防士の後ろで交通整理をやっていたと笑いながら話してくれた。言うまでもなく、その中には私の同級生が何人もいた。幸い火事は大事には至らず、我らが消防団も無事に引き上げたらしいが、そんな恥ずかしい顛末すらも地元では愛をこめて面白おかしく語られる。
そして、やっとヨチヨチ歩きができるようになった私の孫が、赤い消防車が好きだということを聞きつけた友人は、訓練の帰りに赤いポンプ車で家にまでやってきて、孫を乗せてくれたりもした。
少なくとも、私の知る私の地元の消防団員は、おっちょこちょいだが心優しい面々だ。
しかし、そんな愛すべき友人たちが語るエピソードは、常に酒席が舞台となっていたのも事実である。
本書を読むまで気にもしなかったが、酒席の舞台となるのは、ポンプ車や消防機材が保管されている詰所(と彼らは呼ぶ)の2階だったり、行き付けの何軒かのスナックだ。それもかなり頻繁に、月に数回は集まっているようだった。
それが友人・同級生が主なのか、消防団というつながりが主なのか判然としないが、彼らの話を聞く限り、かなりの頻度で催されている。加えて年に一度、貸し切りバスをしつらえて、九州や関西の温泉に慰安(だか研修だか判然としない)旅行に行くらしく、宿にはコンパニオン嬢が現れるのだと嬉しそうに話してもくれた。
しかし、それを聞く私は、「そんなものなんだ」程度の感想しか抱かなかった。
男性が所属する団の活動要請は年間40~50件。団員が持ち回りで主務や会計係などを努めている。分団の予算は年180~200万円で、飲み会に充てる交際費は30~50万円だったという。(中略)
内部資料によると、年1回の研修旅行は交際費とは別の総会費で計上している。予算として約50万円を見込んでいて、1人約3万円かかる旅費のうち、2万円を分団で賄っていた。行き先は毎年異なり、北海道や北関東などの温泉地に行く機会が多いという。
まさに私が耳にしたエピソードが本書の中に列記されていた。
しかも、それらの費用に、すでに退団している幽霊消防団員に支給された報酬や手当までもが含まれているらしい。これは紛れもない犯罪だ。許されるべきことでは無い。
しかし、本書を読み終えた私の脳裏に蘇るある日の友人の姿がある。それは、1月の中頃に地元で行われる成人式の駐車場案内を、警察官のような制服で笑顔を振りまき汗をかく友人Aの姿だ。私ならば、頼まれてもやりはしない。しかし彼は、その年のみならず例年この駐車場案内をしているらしい。そんな彼も、私の地元の消防団員なのだ。
私たちの暮らす国が法治国家である以上、許されていい罪など存在しない。そして、小さな罪(罪の大小は主観によるが)に目をつむれば、その向こうに退団にまつわる理不尽や幽霊消防団員を使っての不正受給などが確実に生まれる。
そして著者は、そんな消防団が犯しつつある罪を許してしまうことで、もっと大きな、政府や官僚・行政に巣食う巨悪を生むのだと警鐘を鳴らしてくれているような気がした。
文/森健次
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