かつて日本は「子ども天国」だった――行き詰まった日本社会を変えるには!?
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BW_machida

2021/10/05

 

著者は学術用語である「チャイルド・ペナルティ(child penalty)」から「子育て罰」という訳語を生んだ社会福祉学者の桜井啓太氏と、これまで高所得世帯の児童手当廃止や「こども庁」の政治利用などに鋭く切りこんできた教育学者の末冨芳氏。桜井がチャイルド・ペナルティを「子ども罰」でなく、あえて「子育て罰」という厳しい言葉に訳したのには理由がある。

 

「誤解を招く表現であることは承知のうえで、あえて『子育て罰』としたときに、かわいそうな個人が貧困に陥っている(ので助けてあげよう)という話から脱して、『罰しているのは誰か』『罰されているのは誰か』という、いま現実にある差別と不平等を論じることができます。そしてそれは、罰や不利を取り除いた社会に思いをはせることにもつながります。」

 

「子育て罰」の背景には、子育てしながら働く母親(ワーキングマザー)と子どもを持たない非母親とのあいだに生じる賃金格差や、まるで子育てすること自体に罰をあたえるかのような社会制度、人びとの意識などがある。国内では、社会保障制度などが子育て世帯に機能していないどころか、むしろ悪化させている側面などが指摘されている。昨今、よく話題になる子どもの貧困も「子育て罰」と切り離して考えることはできない。

 

本書では「子育て罰」を生みだした政治的要因をはじめ、日本のひとり親世帯の実態や新型コロナが与えた家庭への影響、少子化対策の失敗原因や女性を苦しめている諸問題などが幅広く取りあげられる。

 

たとえば末冨は、イザベラ・バードやモースといった明治期に日本を訪れた欧米の研究者や画家たちの記録を例に挙げたうえで、当時の日本が子どもに優しい社会であったことを指摘する。かつて「子ども天国」だった日本は、どうして子育てする親に冷たく厳しい社会になったのだろうか。

 

そもそも近代以前の日本では、女性は社会的活動の主体であり、労働者であり、「家」のマネージャーとして独立性を有した存在だった。そして当時の子どもたちは、地域コミュニティという「公的領域」のなかで「大人に慈しまれ、助け合い成長し」ながら生活していた。ところが性別分業の進展と近代学校教育制度が発達していく過程で、公的領域での役割を果たしてきた女性たちは、母親と家事を担う主婦へと役割を縮小してゆくことになる。同じころ、子どもたちは地域コミュニティ(村落)の異年齢集団による自治組織のメンバーから同年齢主義の学級集団の一員になった。「女性は家庭へ、子どもは学校へと囲い込まれていくプロセスこそが、近現代日本で子どもが『公的領域』から排除されてきた主な理由」だと末冨は述べる。しかし、この変化に(男性主流の)日本社会の慣行やルールが追いつけずにいることは、多くの人も感じているに違いない。

 

今、私的領域に押しこまれてきた女性たちはふたたび公的領域で活躍するようになった。子どもと親、特に母親に冷たい日本を治療するためには、親子を大切にしてリスクを社会で分かち合うだけでは不十分だという末冨の指摘が重く響く。その解決策として、末冨は大人たちが考えかたを「やさしくあたたかくひらく」ことの重要性を説く。子どもたちの未来のために「私たち自身が自分も幸せになるべき大切な存在である」と考えることから「子育て罰」の治療ははじまるのだ。

馬場紀衣(ばばいおり)

馬場紀衣(ばばいおり)

文筆家。ライター。東京都出身。4歳からバレエを習い始め、12歳で単身留学。国内外の大学で哲学、心理学、宗教学といった学問を横断し、帰国。現在は、本やアートを題材にしたコラムやレビューを執筆している。舞踊、演劇、すべての身体表現を愛するライターでもある。
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子育て罰

子育て罰「親子に冷たい日本」を変えるには

末冨 芳/著, 桜井 啓太/著

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