テーブルに並ぶ毎日の料理から、自給について、社会のあり方について考え直してみませんか?
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ryomiyagi

2021/10/13

 

私たちは食べなくては生きていけない。でも毎日の食卓が、テーブルに並ぶ料理がさまざまな「つながり」の中で生みだされていることについて考える人はどれほどいるだろう。

 

戦後の食糧難の時代には、食料を確保することは誰にとっても「自分事」だった。しかし高度成長期を迎えて経済と社会が発展するにつれて、食料の確保は少しずつ「他人事」になっていったと著者は語る。食料を手に入れることが「他人事」であるということは、「生産者」の顔が見えないということでもある。

 

「(食と農の)物理的な距離が広がると、食と農の間は不可視となり、例えば、どこで誰がどのような方法で栽培しているのか確認できません。食と農の間で『コミュニケーション』が取れなくなるのです。こうした状況が、食の安全に対する不安や不信感を招く大きな要因となっています。」

 

今やコンビニエンスストアで簡単に食事が手に入り、クリックひとつで食品が届く時代だ。しかし農作物がなければテーブルに並べられるものはない。1960年には1454万人あった農業就業人口は2016年には200万人をきり、2019年度の時点で168万人にまで減少している。農村から都市への人口流出が急速に進んだ結果、農業経営の継承だけでなく地域農業と地域社会の維持も困難な状況になりつつある。現在、日本の食料自給率は40%を下回り、食の大部分を海外に頼っている状況だ。定年のない農業は、健康や福祉にも大きく貢献している。この先、私たちが考えるべき課題のひとつが若い世代の後継者をどう育てていくかである。

 

そんな中、都市農業は新たなステージを迎えているようだ。バブル経済が崩壊して以降「環境保全」「食の安全」「ライフスタイルの見直し」を背景に、都市農業が再評価されるようになってきている。2010年代に入ると、都市農業へはいっそう「ポジティブ」な眼差しが向けられるようになる。背景には、東日本大震災で顕在化した都市の脆弱性や持続可能な社会への関心があった。

 

そもそも日本の国土は城壁を境に都市と農村がはっきり分離しているヨーロッパとは異なり、農地と市街地がモザイク的に混在しているのだという。農家は、こうした日本ならではの都市空間を活かした「地産地消」「市民参加」型の農業に取り組んできた。「自ら営農環境をつくり変え、地域とともに歩む努力と工夫」がなされているのだ。

 

最近よく話題にあがる貸し農園や体験農園、観光農園もこうした工夫のひとつだ。東京都を中心に広がりをみせている農業体験農園では農家が栽培方法、作付、スケジュールを決めて種苗といった資材や道具を準備し、指導までしてくれる。利用料金には体験料と収穫物の購入代金が含まれており、講習会の頻度は1~2週間に1回。土日のいずれかで通いやすいのも特徴だ。自分の区画で作業ができて、日中の出入りが自由なのも嬉しい。もちろん、草取りや水やりは必須だ。ほかにも都市に住む人が農家を訪ねて農作業を手伝う「援農ボランティア」なるものもあるらしい。

 

「食と農の『間』が可視化され、『コミュニケーション』が生まれると、生産者と消費者が単純で一方的な関係性ではなくなります。こうして両者の関係性が解きほぐされ、双方向的なつながりへと再構築されていくのです」

 

食と農を「つながりの再構築」という観点から捉え直すと、毎日の食卓への関心はもっと高まるだろう。「食べもの」の自給を積み上げることが地域の自給に広がり、その結果、国レベルでの「食料」の自給につながっていく。社会がふたたび大きく転換しようとしている今こそ、遠く離れてしまった生産者と消費者の距離について考え直してみたい。

馬場紀衣(ばばいおり)

馬場紀衣(ばばいおり)

文筆家。ライター。東京都出身。4歳からバレエを習い始め、12歳で単身留学。国内外の大学で哲学、心理学、宗教学といった学問を横断し、帰国。現在は、本やアートを題材にしたコラムやレビューを執筆している。舞踊、演劇、すべての身体表現を愛するライターでもある。
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