日本ジーンズ界の重鎮が語る、独自の進化を遂げる「日本のジーパン」秘話
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2021/10/19

著者・林芳亨氏

 

本書を読んでまず気づくのは、著者のジーパン愛だ。著者は自身のジーンズブランドのデザイナーであり、日本ジーンズ界の重鎮でもある。この本は、誰のクローゼットにも一本くらいはあるのではと思わせる定番ファッションアイテムの歴史を紐解いた一冊。しかも語られるのは、ファッションアイテムとはべつの「ジーパン」についてだ。

 

ジーンズは時代やトレンドとともに変化してきた。細身のものや1970年代のヒッピー文化の影響を受けたもの、装飾やダメージ加工を施した一流ブランドもの。最近ではアメリカのファッションデザイナーのカルバン・クラインが提案したディナージーンズ(あらたまった場所にも穿いていけるジーンズ)なるものが話題になった。

 

「かつてジーパンはアメリカのワークウェア、いわゆる作業着でした。つまり当時の言葉でいえばブルーカラー、大衆のための服だった。でもそれが世界中に広がり、ファッションアイテムになっていった。欧米のさまざまなファッションのトレンドを飲み込みながら、一方では高度経済成長期に大量生産される工業製品という側面もある。だからジーパンはおもしろいんです。」 

 

興味深いのは、アメリカで労働者の「作業着」として生まれたジーパンが、日本では「ファッションアイテム」として独自の変化を遂げたことだ。日本におけるジーパンは、第二次世界大戦後の占領下でアメリカ軍のPX(post exchange)と呼ばれる売店の放出品が民間業者に払い下げられたことから始まる。諸説あるが、その中にあった品を上野御徒町のアメ横にあったマルセルという店が「Gパン」として売り出したところ一躍大人気アイテムになった。インフレによる物不足やアメリカへの憧れも人気の理由だったのかもしれない。なにより分厚い綿100%の生地で作られたGパンは丈夫で、実用的だったという。

 

こうした経緯で手に入れたジーパンは、すでに着古されていて生地が柔らかかったから国産デニムを使った新品のジーパンは当初、あまり売れなかったと著者は語る。ゴワゴワしていて硬くて穿きにくい新品のデニムを売るために日本のジーパンは「洗い」を追求し、柔らかくて穿きやすいものへと進化した。日本の「加工」の技術はいまやヴィトンやディオールなどハイファッションの世界からも注目され、実際に加工を担当している工場もあるという。

 

アメリカ軍の払い下げからはじまった日本のジーパンは、やがて世界で通用するブランドのひとつとなった。作業着だった時代はすでに遠のき、今やジーパンはファストファッションからハイブランドまでさまざまなブランドが作っている。生産地もベトナムやトルコ、中国などアメリカから遠く離れた土地にある。街を歩けば、ジーパンを穿いている人に出会わない日はない。著者はジーンズの歴史や自身のブランドマネジメントまで余すことなくジーパンについて語るが、これほどジーパンが親しまれるようになったのには、ファッションという枠ではくくりきれない理由があったことを、本書を読んで初めて知った。

馬場紀衣(ばばいおり)

馬場紀衣(ばばいおり)

文筆家。ライター。東京都出身。4歳からバレエを習い始め、12歳で単身留学。国内外の大学で哲学、心理学、宗教学といった学問を横断し、帰国。現在は、本やアートを題材にしたコラムやレビューを執筆している。舞踊、演劇、すべての身体表現を愛するライターでもある。
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日本のジーパン

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