“自殺大国” 日本…ネットに残された“故人の声”にみる「死との関わり方」
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BW_machida

2022/04/14

『ネットで故人の声を聴け 死にゆく人々の本音』光文社新書
古田雄介/著

 

 

昨年12月の所信表明において、岸田総理は「若者も、高齢者も、障害のある方も、男性も、女性も、全ての人が生きがいを感じられる、多様性が尊重される社会を目指します」と語った。就任以前と就任後の言説の違いを、その揺れ具合を揶揄されがちだが、それはそれとして、どうやら我が国の指導者が見る現代日本に欠けている部分は「生きがい」と「尊重」であるらしい。そんな日本の自殺者数は、年間30000人を超えている。この人口10万人当たり25.5という数字は、アメリカの2倍以上であり、交通事故による死亡者数を上回る。自殺大国と言われる所以である。

 

相も変わらずネット上には、「死ね」「殺す」などのNGワードを含む誹謗・中傷が溢れ、世は正に「呪いの時代」に突入したのだと実感させられる。「呪い」「呪詛」などと言うと、途端に眉に唾する方若者も、高齢者も、障害のある方も、男性も、女性も、全ての人が生きがいを感じられる、多様性が尊重される社会を目指しますがほとんどだろうが、日々更新するSNS上に「死ね」「殺す」などの言葉が並び、時を経ずして自死を選ぶ者がいたとしたら、これを「呪詛」「呪殺」と言わずして何と呼べばいいのだろう。
などと、幸か不幸か荒れることも知らぬ、自身のささやかなSNSを見ながら考えているところに『ネットで故人の声を聴け 死にゆく人々の本音』(光文社新書)を入手した。
「ちょうど今、考えていたところだ」と興味津々で頁を繰ってみる。
著者は、インターネットと人の死の向き合い方を考え、取材を重ねてきたフリーライターの古田雄介氏。ライターに転向以前は葬儀社のスタッフなども経験しているだけに、死に対する思いは、通常人に倍するものがあったに違いない。

 

故人が残していったSNSやブログ、ホームページにはどんな世界が広がっているんだろう_____?
もう10年以上も前になりますが、仕事の合間にパソコンのブラウザーを眺めながら、ふとそんなことを思いました。
その気になって探してみると、亡くなった人(あるいは、亡くなったと推測される人)のサイトはわりとたやすく見つかります。しかし、それは入口にすぎません。本格的に足を踏み入れてみると、そこから広がる膨大な思索と感情の波に圧倒されるでしょう。

 

本書の冒頭に、著者の執筆に至る端緒が語られている。長年、著者と同じく取材・執筆を生業としてきた私に、そのような気概は微塵も無い。亡くなった人が残した文章を探し、そこから故人の思惑を追い求めるなど「ゾッとしない」。というのが、私の偽らざる気持ちだ。
しかし著者は、この自殺大国と呼ばれる日本において、急速に普及するインターネット上における「死との関わり方」を追い求めていく。とても大切な取材活動であり、同じく取材・執筆者としてリスペクトするに値する方だと言うことを、思い知らされる一文だ。

 

そして本書は、自死を含む15の事例を紹介していく。

 

そこには、高校2年で死を受け入れた少年の、死後11年を経ても日々更新され続けるブログの話や、41歳で余命を知った医師の闘病記や、通り魔的な暴漢に殺害された高校生の娘の死後にブログを立ち上げた父親など、迫真の生きざまが15通り描かれている。

 

「ワイルズの闘病記」というブログがある。T細胞型急性リンパ性白血病を患う埼玉県出身の男性「ワイルズ」さんのブログで、高校1年時の2009年2月にスタートした。
本人による投稿は亡くなる直前までの1年半。2010年8月以降は両親が引き継ぎ、父(父ワイルズさん)が中心になって更新を続けていたが、脳出血で倒れてからは母(母ワイルズさん)が一人で担うようになった。更新はペースを落としながらも七回忌(6年目の命日)となる2016年まで続いた。そこで更新の終了を宣言して現在に至るが、母ワイルズさんは没後もほぼ毎日アクセスしているという。
ワイルズの闘病記がワイルズさんによって更新されなくなって11年以上経つ。しかし、ブログはいまも追悼の拠点というかけがえのない役割を果たしている。いわばインターネット上のお墓だ。
故人のブログが「お墓」になる例はしばしば見られるが、これだけの年月機能し続けているのはかなり珍しい。

 

インターネット上のお墓。故人の残したブログに、本人が亡くなって以後も訪れる人々がいる。そこには、故人の生きてきた証が綴られており、故人の死生観はもちろんのこと、思い出の数々を窺い知ることが出来るだろう。それこそが弔いであり、墓参に他ないように思う。

 

きた。
やつがきた。
ついに副作用がきた。
しゃっくり。
笑わないでおくれよ。
出始めたら本当に止まらないんですよ。
ひっくひっく
抗がん剤シスプラチンの影響だそうです。
吐き気とかは皆無です。
今日もお見舞いで持ってきてもらった食べ物をむしゃむしゃ食べてました。
ひっくひっく、むしゃむしゃ。
(2016年12月11日「追い風」/或る闘病記)

 

これは本書で紹介されている、希少がんと闘う京大院生のブログの一節だ。そこには、抗がん剤治療と向き合う青年の、切なくも、ともすれば明るいとすら取れる前向きな姿勢を窺い知ることが出来る。
そして、そんな風に前向きとすら取れる闘病中の青年の変化が、やはりネット上に現れることとなる。

 

「自分の感情を押し殺しながらここまでき」た、もう一つの反動だったのかもしれない。この時期を境に、山口さんは吹っ切れたようにネットでのコミュニケーションを割り切るようになる。
noteで「ぐっちのおと」を始めたのはその一環だ。当時Twitterのフォロワーは2万人近くに膨らんでおり、ブログの記事も万単位の読者に読まれるようになっていた。読む人の規模が膨らむとさまざまな反応が現れる。「余命宣告を受けてどんな気持ちですか?」など、心ないリプライやコメントが届くようになった。そうした読者に届かないところで発信したい。そこでnoteの有料公開機能に目を付けた。
そして何より、もう本当にだめになってしまった時に、弱音を吐ける場所を作って置きたかったのです。(上2つのブログは、ありがたいことに何万人もの方々に見ていただいているのですが、その分どうしても弱音を吐きづらいという思いが、ずっとありました。)
(20212年3月21日「もう一つの闘病記」/ぐっちのおと)

 

この半月後の投稿をもって、山口青年は故人となる。
本書で紹介された同青年の闘病記と、その経緯には、読み手の思いを容易には寄せ付けない、凄絶なまでに繰り返す希望と絶望が描かれている。と同時に、そんな残酷な日々の中で、山口青年がネットに見出した捌け口と逃げ場所がいかに大切なものだったかも描かれている。
本書『ネットで故人の声を聴け』(光文社新書)は、市井に溢れる名も知れぬ不幸の羅列などでは無く、また昨今言われる「SNSの功罪」などではないもっと大切な何かを、仮想の空間に求め作り出す手立てが示されていた。身に詰まされる一冊である。

 

文/森健次

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