BW_machida
2022/04/21
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2022/04/21
『「現代写真」の系譜』
圓井義典/著
インスタグラムをはじめ日常を切りとったスナップ写真、鉄道写真や風景写真などの趣味の写真、写真館で撮ってもらう少し特別な記念写真など、私たちは写真に囲まれて暮らしている。誰もが写真家ふうな一枚を撮影できる時代において、ファインダーやスマートフォンを操作しながら私たちはなにを考えているだろうか。フォロー数を増やすため、とか、記録として残しておきたいとか、その都度目的は異なるだろうが「現代写真」と呼ばれる表現を生み出してきた写真家たちの頭にあったのは「今の時代にふさわしいアイデアを実現」することだった。
本書は現代写真の系譜をたどった一冊。まずは20世紀前半の報道写真の成立について、続く章では1930年代から70年代を舞台に報道写真からいかにニュー・ドキュメンタリーへ派生していったかが説明される。70年代から80年代は美術界における写真表現に変化が現われ、写真表現が絵画や彫刻による表現と肩を並べるまでに評価が高まった時代でもある。終章にかけては90年代以降の写真の状況が写真の歴史とともに考察される。
土門拳、森村泰昌、畠山直哉、荒木経惟、東松照明、森山大道らがどのような写真観を築き、そのうえでどのような写真を撮影したか、彼らが写真へ向けた眼差しはどれも興味深い。たとえば演劇論のなかに自らがとるべき姿勢を見いだした写真家、須田一政。須田は劇作家の寺山修司が旗揚げした「天井桟敷」の専属カメラマンも務めていた。自身初の写真集のタイトルが『風姿花伝』であることからも、彼が演劇へ高い関心を寄せていたことがわかる。
「写真とはもしかしたら現実に魔法をかける手段なのではないか」という須田の言葉からは、写真を通して現実と夢の世界を行き来する喜びが伝わってくる。彼はまた「過去は、見るものによって、その時初めて認識を得るのだ」とも語っている。こうした一枚の同じ写真に対する撮影者と鑑賞者の解釈の違いについて著者は次のように説明する。
「もちろん撮影者は自らの動機によってシャッターを切ります。何を写して何を写さないかという判断が撮影者に委ねられている点では、写真一枚一枚は須田の言う通り『受け身』です。しかしながら、その写真を見る人は、何もその撮影者の意図にしたがって見なければいけないものではないですし、見る人によってさまざまな解釈がありうるからこそ、『写真において、語るのは撮影者だけではない』はずです。」
しかもそれは撮影した本人にもあてはまるという。撮影するときに意図したこととはまるで異なった思いがけない言葉が写真から聞こえてくることがあるというのだ。写真はときに過去と現在と未来、あるいは現実と夢を自由に行き来することを可能にしてしまう。写真を単に眺めるのではなく、写真の歴史を辿ることで見えてくる世界があることを本書に教えられた。
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