“時短”それは現代人のテーゼ?|稲田豊史『映画を早送りで観る人たち』
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ryomiyagi

2022/05/19

『映画を早送りで観る人たち』光文社新書
稲田豊史/著

 

17世紀、世界に先駆けて大航海時代を迎えたイギリスは、海上において時刻と太陽の位置により経度を計るために、正確な時計(クロノメーター)を必要とした。人はそれまで、一日を地球の自転に任せ、一年の長さを公転周期に求めた。そして農耕を営む上で、一年を12で区切ることにより季節をわきまえ、キリスト教の教義にのっとり1週間を7日と区切り暮らしてきた。それからおよそ1800年間、そんな茫洋とした時間感覚を個々が所有することを許容したが、産業革命による鉄道の開設(1847年)とともに標準時という時間を固有ではなく共有することとなる。おそらく人は、この時点から標準時という時感に囚われる存在となってしまったに違いない。

 

日本では、明治5年に太陽暦を導入すると同時に、時、分、秒が使われるようになり、以来私たちは、一日を24時間に区切り、一時間を60分、1分を60秒と定めた暮らしを営んでいる。と、それは私も同じ……だが、そんな私の日常は随分と違ってきた。何を隠そう私は、家人が引くほどのテレビっ子なのだが、そんな私のTVの楽しみ方が、ホームビデオがビデオデッキから内蔵HDへと変わったころから、以前に比べて格段に進化(?)したのだ。何がどう進化したかというと、好きな番組はライブで見ずに録画し、それを再生し、CMをスキップしながら見るようになったのだ。そうでもしなければ、イライラして見てられない。そんな私にとって、『映画を早送りで観る人たち』(光文社新書)は、かなりの親近感を持って読み進めることのできる一冊だった。著者は、大手映画配給会社からライター・編集者に転じた稲田豊史氏。前職が前職だけに、視聴者の変化には一定以上の関心と見識があるに違いない。

 

気がつくと、Netflix(ネットフリックス)をパソコンで観る際に1.5倍速で観られるようになっていた。セリフは早口になるが、ちゃんと聞き取れる。字幕も出る。
かつてNetflixにこの機能はなかった。
調べると、米Netflix社は2019年8月に、Androidのスマホやタブレットで視聴する際に再生速度を選択できる機能を搭載。その後iOS端末やウェブにも導入が進み、順次各国が対応していった。2022年2月現在の日本では、再生速度を0.5倍、0.75倍、1倍、1.25倍、1.5倍で選べる。

 

録画によるCMスキップを前述した私だが、さすがに映画やドラマの倍速再生は経験がない。長くコンテンツ制作に携わった者の一人として、やはりそこには一定のマナーがあってほしい。などと文字にして思うのは、所詮は50歩100歩か…。いや、決してそうではない。提供CMをスキップするのと、本編を倍速で鑑賞するのとではやはり本質的に隔たりがある。物語を進めるうえで、テーマを展開するする上で、欠かせないとする背景や描写を早送りするのは、作り手に対するリスペクトを大きく欠いた行為に他無いように感じる。

 

ある時、かつて倍速視聴した作品をDVDレンタルして観直し、愕然とした。作品の印象が全く違うのだ。初見の倍速視聴では作品の滋味をー-あくまでも体感だがー-半分も味わえていなかった。
ストーリーは倍速視聴時に把握していた通りだった。見せ場も記憶にある。だが、登場人物の細かい心情やその変化、会話からにじみ出る人柄や関係性、美術や小道具、ロケ地の美しさ、演出のリズムや匂い立つ雰囲気、それらを十全に味わえていたとは言いがたい。仕事で致し方なかったとはいえ、もはや懺悔する行為であった。

 

なるほど。やはり著者も、前職とはいえコンテンツビジネスに携わった者として、倍速視聴をひとしきり悔やんでいる。
そうなのだ。確かに作品を倍速視聴したからと言って、物語の結末が変わるわけではない。加えて、結末にいたる成り行きとて、倍速視聴でも理解できるのかもしれない。しかし、そんな成り行きに課せられた時間の流れにこそ、実は物語のテーマに深みや味わいを加味する重要な要素が隠されていたりするのだ。
それにしても現代人の、倍速視聴にブレーキが利く気配はない。現代人は、何かと時間に追われて暮らしているように思えてならない。本書がテーマとする「時短」は、映画やドラマの視聴に留まらず、時短料理、時短勤務etcと枚挙にいとまがない。いったい何が、これほど現代人を時短へと駆り立てるのだろうか…。これを語るには、さらに一冊の考察を待つより他無い。
それにしても、著者が何度も言及するNetflixなどのサブスクリプションサービスの世界的な普及が、本書のテーマを促進したであろうことは間違いない。
常時数千本にも及ぶコンテンツが、月々の定額料金によって見放題という、供給する側にとっては有難い以上に恐るべきサービスが地球規模で普及した。勢い私たちは、これまでのように劇場に足を運ぶでもなく、また1泊2日で300円内外のレンタル料金を支払うでもなく、最新の映像作品を視聴できるようになった。これがまさに、それ以前の視聴者を一消費者に下方変換したのではないだろうか。そう。消費者とはわがままなのだ。
「観たいものを観る」こそが消費者の意識であり、そんな消費者意識は、そのまま「観たくないものは飛ばす」になってしまうのだろう。

 

本章では、第2章と第3章で考察した倍速視聴の外的要因と内的要因を、「快適主義」という別の観点から再考察する。(中略)
しかし、それを指摘したところで倍速視聴積極派は言う、「どう観ようが勝手」「観方を押し付けるな」。作り手が倍速視聴に嫌悪感を示しても、関係ない。(中略)
あるいは、「好きな作品を観る、嫌いな作品は観ない」という当たり前の消費行動の延長線上に、「好きなシーンは等倍で観る、嫌いなシーンは飛ばす」が当たり前に存在している。

 

それでもまだ、様々な作品を視聴するのだから、サブスクが普及する以前よりは格段に作り手にとっての機会は増えているはずだ。とは、まさに我儘な消費者のロジックである。
ただ、そんな…作り手の心情に寄り添うかのようなロジックをつらつら書き並べる私とて、実際は録画した番組をCM飛ばしで鑑賞する、著者が言う「ワガママな視聴者」と属性を同じくする一人でしかない。そしてそんな私は、何かと気は急いているものの、決して録画した番組を飛ばしながら観なきゃならないほど多忙ではない。

 

本書『映画を早送りで観る人たち』(光文社新書)は、余りにも巨大化した消費社会に生きる現代人が、動機そのものを変質させつつ翻弄される様を示す極めて意味深な一冊だ。少なくとも、なんであれコンテンツビジネスにかかわる、もしくはかかわろうとする者が必読すべき一冊だった。

 

文/森健次

 


『映画を早送りで観る人たち』(光文社新書)
稲田豊史/著

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