ryomiyagi
2022/09/12
ryomiyagi
2022/09/12
私事ながら、この本で紹介されている作品は全て読んだことがある。『ONE PIECE』『鋼の錬金術師』『違国日記』『めぞん一刻』『同級生』……人気作品ばかりで、はやる気持ちを押さえつつも、ページをめくる手がとまらない。作品数は多いがテーマは一貫している。会話とはどういった営みなのか、についてだ。
コミュニケーションはさておき、マニピュレーションはあまり馴染みのない言葉かもしれない。著者の説明をそのまま引用するなら、コミュニケーションとは「発言を通じて話し手と聞き手のあいだで約束事を構築していくような営み」であり、マニピュレーションは「発言を通じて話し手が聞き手の心理や行動を操ろうとする営み」だという。
本書では、コミュニケーションとマニピュレーションの観点から作品の登場人物たちが何をしているのかについて論じられる。明らかにされるのは、会話という誰にとっても日常的な行為の面白さと複雑さだ。
「会話において参加者たちはその個々人の心理を持っており、それぞれの動機から発言をおこないます。相手との約束事をきちんと形成したいから、わかっていることでも改めてしっかり言わせようとする、間違っているとわかっている事柄をわかっていないふりをするための共犯関係を築こうとコミュニケーションをする、コミュニケーションをしないで済むからこそ、そうでないと打ち明けられなかったことを打ち明ける。」
たとえば、高橋留美子作品の代表作『うる星やつら』。物語のラストシーンでは、宇宙をまたにかけたラムちゃんとあたるくんのドタバタ劇(大喧嘩)が地球を巻き込んでの危機的状況になっていく。地球を救うにはふたりが仲直りするしかない、という場面でもあたるくんは「好きだ」とは言わず、しかし彼の「いまわの際にいってやる」との言葉で物語は大団円を迎える。作品の終わり方としても気持ちの良いラストだっただけに、初めて読み終えたときから強く印象に残っている場面だ。こうしたふたりのやり取りについて、その意義を著者は次のように説明する。
「たとえすでにわかっているような心情であっても、はっきりとそれをコミュニケーションによって伝えたならば、改めてその心情に関する約束事が生じ、その約束事に照らして話し手と聞き手はその後の行動を統制する動機を得ることになる」
もう誰がどう見ても互いの気持ちは伝わっている状況なのに、「好きだ」とあえて口に出さないことで伝えていることがある。そこに至るまでには、甚大な帰結をともなうコミュニケーションがあったことを読者は思い出すはず。本書には、これまでになかったユニークな指摘がいくつもある。読者にとっては、なるほどと腑に落ちる会話論かもしれない。
『会話を哲学する』
三木那由他/著
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