BW_machida
2022/09/13
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2022/09/13
小学校を卒業後、奉公へ出た呉服屋の隣にあったレコード店から流れて来た浪曲が曲師になるきっかけだったという。玉川祐子さんがまだ「りよ」さんと呼ばれていた頃の話だ。りよさんは、1922年生まれだから10月で100歳になる。今も演台に座り続ける、現役の曲師だ。
二年間の呉服屋での奉公期間を終えて実家へ戻ったりよさんは、両親に東京へ行かせて欲しいと頼みこんだ。もちろん、簡単に許してはくれない。しかし、あきらめなかった。なんとか父親を説得すると一生懸命働いてためておいたお金を電車賃に、生まれ育った茨城県笠間市から東京へ向かう。
「いとこは錦糸町にいたんです。そこに泊めてもらって。そのころは錦糸町から浅草の、吾妻橋まで船が出ていたの。それに乗って浅草へ行った。初めて船に乗ったね。初めての東京だけど、浪曲師になりたいという気持ち、それっきり頭になかったんだね」
そうして訪ねたのが当時人気絶頂の二代目廣澤虎造。当時、一番好きだった浪曲師だ。しかし、自宅への突然の襲撃がいけなかったのか「女の子はとらない」と冷たくあしらわれてしまう。だが、ここでもあきらめない。その後、虎造を擁する浪花家興行社へ出向いたところ、支配人が浪曲師を紹介してくれたそうだ。
明治時代に成立した浪曲は、昭和十年代頃は「娯楽の王様」と言われるほど人気だったらしい。今ならヒット歌謡だが、時代は浪曲だった。ラジオで聴ける時代が来たことで浪曲はより手軽に楽しめる身近な演芸になっていく。講談や落語よりも人気があったというから、当時の盛り上がりぶりは想像に難くない。
この本は、りよさんの、玉川祐子さんの浪曲師としての歩みを振り返り、知られざる彼女の素顔を書き留めた一冊。なにしろ100歳だ。第一章では浪曲師になるまで、第二章では浪曲師として、一人の母として、妻としての苦労が語られる。その歩みは現代篇へと続いていく。玉川祐子さんご自身の波乱万丈な人生にも引き込まれるが、本書を読み終えた読者は、きっと浪曲を聞いてみたいと思うはずだ。三味線の入る芸能は多いが、百数十年の時をかけて独自の研鑽を積み重ねてきた浪曲には独特の味わいがある。
「生まれ変わったら、やっぱり浪曲師になりたいな。浪花節はいちばん好き。芝居も好き。それこそ演歌も好き。歌も好きだけど、やっぱりとどのつまりは浪曲だよ。浪曲を愛しているよ。」
本書の文末を飾る祐子師匠の言葉が印象的だった。80年以上三味線を弾き続けて、それでもなお玉川祐子さんの眼差しの向こうには、浪曲への憧れが輝いている。
『100歳で現役!』
玉川祐子・杉江松恋/著
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