消費は人々のマインドが左右する|加谷珪一『国民の底意地の悪さが、日本経済低迷の元凶』幻冬舎

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『国民の底意地の悪さが、日本経済低迷の元凶』幻冬舎
加谷珪一/著

 

衝撃的なタイトルにひかれて本書を手にとった。このタイトルの意味するところについて、著者は順を追って説明してゆく。それを読むと、すべてではないにせよ合点できる部分も多い。

 

時々、寅さん演じる「男はつらいよ」シリーズの昔の映画がテレビで放送されているのを見ることがあるが、やはり30年ぐらい前の作品になると、今と社会の様子がずいぶん変化していることに気付かされる。社会の雰囲気や町並みの変化はもちろんだが、人々のしゃべり方やトーン、振る舞いの様子も今とは異なっている。さらに男女の役割や関係性なども現代とはだいぶ感じが違い、時の流れを感じさせられる。

 

しかし、その30年間で日本経済はほぼゼロ成長で、実質賃金がまったくといっていいほど上がっていないと聞くと、驚かされる。社会の変化に比して経済がしっかりした歩みを続けていないのは信じられないが、実際にデータを参照するとそうした傾向を示している。

 

さらに近年は世界的なコロナ禍が日本にも大きく影響する。著者は日本社会にもともとあった不寛容で抑圧的な風潮が、個人消費を抑制してきた可能性が否定できないという。昭和の時代までは好調な輸出が続いた結果、表面化しなかった日本人のこの特性が、輸出競争力の低下で顕在化することになったと著者は指摘する。さらにコロナ禍をきっかけにそれが激しくなったという。日本は製造業から個人消費で成長する経済構造に変化した。個人消費は前向きなマインドがないとなかなか拡大しないが、ここにきていっそう、人々の消費に悪影響を及ぼしていると見る。不寛容な例として、ネットでの他人に対する常軌を逸した誹謗中傷や有名人へのバッシングなどをあげる。

 

こうした傾向について、著者は、日本は表面的には近代化を達成したが、現実にはまだ前近代的なムラ社会の要素が社会の多くの場所に残っており、近代的な経済システムとぶつかりあい、そこで生まれるギャップが日本社会の不寛容さを生み出すと分析する。前近代的なムラ社会の生産性は低く、一方で富は有限なので社会は不寛容にならざるをえないという点を理由に上げる。

 

もちろん悪質な誹謗中傷などは世界の他の国にもあり、文化の違いや社会経済構造と結びついて、それぞれの国で違った形で発露する。それゆえ日本では著者の指摘するように「息苦しい」と感じるような空気が広がるのであろう。

 

本書の筆致は全体的に日本に厳しい印象が強いが、実は期待もかけている。成功している外国の例をまずは導入してみようという指摘である。これは日本が飛鳥時代や奈良時代、明治初期や戦後などに実践してきたことにほかならず、実は得意とする分野という見方だ。それにあたって重要になる視点は、①データと科学を重視するメカニズム、②個人と企業の自由を保障、③根源的な理念や価値観の共有――の3つだと指摘する。そうすることで日本社会が本来もっていた謙虚さと寛容さが復活し、消費が一気に拡大するとの期待をかける。

 

本書の主張には、賛同できる部分、できない部分が分かれるかもしれない。筆者も、著者の考えとは異にする部分はある。しかし、社会に広がる空気や人々の基本的な考え方や、消費に対する向き合う姿勢は国の経済のありようを決める大きな要素として無視できない。そうした部分に着目したのは意義あることであり、国民のマインドやメンタリティーの変化を通じて、日本経済が再び成長軌道に乗っていくことは誰しも期待するところであろう。そうした問題意識を覚醒させてくれる一冊である。

 

『国民の底意地の悪さが、日本経済低迷の元凶』幻冬舎
加谷珪一/著

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ビジネス・経済分野を中心にジャーナリスト活動を続けるかたわら、ライフワークとして書評執筆に取り組んでいる。英国の駐在経験で人生と視野が大きく広がった。政治・経済・国際分野のほか、メディア、音楽などにも関心があり、英書翻訳も手がける。

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