「仇討ちの夜には、やはり雪が降っていてほしい!」歴史小説家の地味~な日常#5
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『賢帝と逆臣と』(講談社文庫)や『劉裕 豪剣の皇帝』(講談社)などの著書を持つ歴史小説家・小前亮先生による、“キャラ重視の人物事典”『世界史をつくった最強の300人』がついに文庫化! 世界の偉人たちのアクの強いエピソードを多数紹介した本作は、ひとりひとりが小説の主人公になりそうな程キャラが濃い!

 

これだけネタが豊富なら「小説を書くのに困らないのでは?」と思いきや……。

 

歴史を小説に昇華するのにはさまざまな苦労と過程が。歴史小説ができるまでの舞台裏を教えていただきました。

 

史実は架空の話のように、架空の話は史実のように

 

よく議論になるのは、どこまで調べるべきか、史実の改変は許されるのか、という問題です。もちろん、決まった答えなどありません。
作品の性格や、読者の嗜好などから、作者が判断すればよい話です。個人的には、あまり瑣事にこだわりたくはないと思います。

 

極端な例を言えば、日にちがわかれば月の満ち欠けはすぐに調べられますし(陰暦ならそのままです)、江戸時代などであれば、その日の天気もわかっていることが多いです。だからといって、史実どおりじゃないと駄目だ、というのはナンセンスでしょう。

 

仇討ちの夜にはやはり雪が降っていてほしいもの。せっかく小説なのだから、場面に一番ふさわしい背景を描くべきです。

 

私は、史実は架空の話のように、架空の話は史実のように、描きたいと思っています。だましたいというわけではありません。もとになった史実と虚構が一体になってはじめて、小説になるのだと考えるからです。

 

歴史小説を史実と思いこんでいる人が多い、といった苦言

 

そういえば、歴史小説を史実と思いこんでいる人が多い、といった苦言もよく聞きます。それだけよくできた小説だということではないでしょうか。

 

これもまた、あまり目くじらを立てることではないように思います。正確な歴史を知ってほしいのは確かですが、それ以上に、歴史を好きでいてほしいからです。

 

いま現在、史実とみなされていることでも、もとは誰かが創った物語かもしれません。

 

有名な例をあげると、明を滅ぼした李自成を支えた李巌は、教科書に載るほどの重要人物でしたが、後に架空の人物であることが判明しました。二次史料が参照した史料のなかに小説や説話が混じっていたため、史実とフィクションが混同されていたのです。

 

近代歴史学は実証主義に立って、多くのフィクションを排してきましたが、おそらくまだ充分ではありません。歴史と物語は根っこのところでつながっており、簡単に分離できるものではないのです。

 

【続く】

 

※この記事は『世界史をつくった最強の300人』より一部を抜粋して作成しました。

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世界史をつくった最強の300人

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小前 亮 こまえ りょう

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