諏訪盆地の土着的な神秘力を感じさせる著者ならではの建築史「人類と建築の歴史」

藤代冥砂 写真家・作家

『人類と建築の歴史』ちくまプリマー新書
藤森照信/著

 

好奇心だけは尽きない性分で、書棚には入門書の類が多い。学術的なものから趣味的なものまで、気の多さと継続力のなさに呆れつつも、微笑ましくもある。おそらくこれからも変わることのない性分であろう。

 

その書棚からひょいとつまんだのが藤森照信さんの「建築と人類」である。建築と人類を、またその関係を概観するつもりで求めた本だと記憶している。読了した日のスタンプが巻末に押されていて、その頃はそのようにして、読破記念にしていたのだ。

 

およそ十年前に手にしていたその本のページをめくるとハイライトラインが随所に引かれている。蛍光の黄色はレモン色へと退色し、十年の月日の経過を伝えている。2008年の私は、いったいどのように暮らしていたのかは、自分のことながら朧気だが、黄色いラインを引きながら読書を楽しんでいたことは確かで、その確かさの分だけ、救われたような気になる。

 

また、この本自体はすでに電子書籍のみでしか手に入らなくなっているのも、時勢を感じさせるが、全ての紙本が電子書籍化されるわけではないことを考えれば、半永久的に電子の図書世界にストックされたことを安堵し、祝うべきであろう。

 

藤森さんといえば、その独特の原始性と未来性を持った作風で知られる建築家で、それはフォルムだけにとどまらず、素材選びや、立地環境をも含む。その建築から醸し出される宗教性、祝祭性、秘儀性は、彼の出身地である諏訪盆地の土着的な神秘力に由来しているような気がしてならない。

 

ある時期、私は諏訪に滞在することを夏の習慣としており、その度に訪れる諏訪大社上社本宮は、その土の臭いの濃さによって、私のお気に入りの宮の上位にある。農業神を祀る宮とあるが、実は稲作以前の縄文の祝い事の風習が色濃く残り、いわば、土地に縛り付けられる以前の何かを感じる喜びを求めて私は繰り返し参拝していた。

その上社の参道沿いの幾つかの家の表札に藤森と記されていることから、彼の祖先は上社と深い繋がりがあるのかもしれない。

 

そのようなイメージを持ちつつ、この本を読み進めると、彼の建築観が、芸術からではなく、人類学的な出自を持っていることが分かる。マンモスを食していた石器時代の住居や壁画などから始まり、信仰や、縄文などを経て、神社建築、古代建築、などへと進んで行く内容は、タイトルに違わぬ面白さがある。もともと建築史家である著者ならではの広がりが、専門的で難解な理系イメージとは反対の、平易で文系的な面からのアプローチとなっていて、ドアの向こうにドアがあるような楽しさで読み進めていける。

 

十年前に引いたハイライトラインの的外れさに、のけぞりつつも、読書を通して過去の自分と向き合えたのも楽しかった。次にこの本を開くときは、レモン色が肌色となって、さらに時が進めば、いずれ消えてしまうのだろうか。退色とは言うが、それは進色と呼べもするだろう。

 

『人類と建築の歴史』ちくまプリマー新書
藤森照信/著

この記事を書いた人

藤代冥砂

-fujishiro-meisa-

写真家・作家

90年代から写真家としてのキャリアをスタートさせ、以後エディトリアル、コマーシャル、アートの分野を中心として活動。主な写真集として、2年間のバックパッカー時代の世界一周旅行記『ライドライドライド』、家族との日常を綴った愛しさと切なさに満ちた『もう家に帰ろう』、南米女性を現地で30人撮り下ろした太陽の輝きを感じさせる『肉』、沖縄の神々しい光と色をスピリチュアルに切り取った『あおあお』、高層ホテルの一室にヌードで佇む女性52人を撮った都市論的な,試みでもある『sketches of tokyo』、山岳写真とヌードを対比させる構成が新奇な『山と肌』など、一昨ごとに変わる表現法をスタイルとし、それによって写真を超えていこうとする試みは、アンチスタイルな全体写真家としてユニークな位置にいる。また小説家としても知られ著作に『誰も死なない恋愛小説』『ドライブ』がある。第34回講談社出版文化賞写真賞受賞

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