人類は「ドーナツ型」社会をめざせ!―「働く」を考える本(4)

三砂慶明 「読書室」主宰

『ドーナツ経済学が世界を救う 人類と地球のためのパラダイムシフト』河出書房新社
ケイト・ラワース/著

 

写真/濱崎崇

 

年末年始の新聞を読んでいると、そこにははっきりと現在の日本の姿が描かれていました。平均寿命は上昇し、貧困率は1985年の12%から15.7%(2015年厚生労働省)に増加。男女の格差は、世界経済フォーラムによれば2006年の79位から110位(2018年)に下降し、世界競争力ランキングも1989年の1位から25位(2018年)に悪化するなど、これからの未来は決して明るくなさそうです。

 

世界に目を向けても、気候変動や環境破壊、軍事紛争に貿易戦争、不平等の拡大や外国人憎悪の高まりなど、不安にかられるニュースが日々報道されています。もはや、人類の未来は半分も残っていないような気さえします。

 

しかしながら、このような悲観的な見方は人類史とともにあったのだということをマット・リドレーはThe Rational Optimist、すなわち理性的な楽天家という原題の『繁栄』(早川書房)の中で、データで指摘しています。そして、新年早々に出たばかりの、『ファクトフルネス』(日経BP社)でも、本当に世界は悪化しているのだろうか、ということをデータで検証する方法を読者に提示しました。

 

不安にかられてグラスの中に半分しか残っていないと考えるのか、まだ半分も残っていると考えるのとでは、目指すべき目標がかわってきます。本書『ドーナツ経済学が世界を救う 人類と地球のためのパラダイムシフト』(河出書房新社)で描かれている未来は、後者であり、さらに具体的で楽観的です。

 

英国の経済学者、ジョン・メイナード・ケインズは「経済学者と政治哲学者の考えは、正しいときも誤っているときも、一般に思われる以上に絶大な力を振るっている。実際、それらほど世界の隅々にまで浸透している考えは、ほかにほとんどない。実務家は誰からも思想的な影響を受けていないと自分では考えているが、たいてい、過去の経済学者の考えを妄信しているものだ」という有名な言葉を残しています。

 

著者のケイト・ラワースは、社会学者ゴフマンの唱える「フレーム理論」――わたしたちはみんな心の中にあるフレームで世界を切り取って見ている――を例に、「肝心なのはどういう考えかたを選ぶかではなく、自分たちがそもそもなんらかの考えかたを持っていることに気づくことだ。それによって初めて、自分の考えかたを問い、変えられる。」といいます。

 

しかしながら、ケインズが発見した通り、自分たちが使っている思考モデルを見直すことは容易なことではありません。

 

ジョージ・レイコフとマーク・ジョンソンが『レトリックと人生』で鮮やかに解き明かしたように、西洋では「上」や「前」という語が「よいこと」をイメージさせる文化が深く根付いていて、人々の考え方や発言に強い影響を与えています。

 

何かの目標を立てるときに、私たちは「どん底」は決して目指しませんし、「後退」が「よいこと」だとは考えません。なぜそう考えるのか、を抜きに常に、「成長」は「よいこと」であり、社会は前進することで豊かになる、といわれれば疑うことなくそのとおりだと考えがちです。私たちが職場で求められる結果は対前年比で、さらなる成長が望ましいのか、必要なのか、そもそも可能なのかを問うことは、はっきりいって的外れです。

 

私たちの無意識レベルまでに沁みついた思考モデルをアップデートするために、ケイト・ラワースがとった戦略は、七つの思考モデルの提案です。旧来の経済学の図を七つ抽出し、従来の考えかたのまやかしを明らかにした上で、それに代わる新しい思考モデルを提案します。そして、そのイメージこそが、本書の中心であるドーナツの図です。

 

実際にその図をここで紹介できないので、詳しくは本書を手に取って見ていただきたいのですが、同心円状の二本の大小の輪が基本になった絵です。

 

小さい輪は、社会的な土台を示しており、飢餓や文盲など人類の窮乏が描かれています。大きな輪は、環境的な上限を示していて、その外側には気候変動、生物多様性の喪失など、地球環境の上限が描かれています。内側のドーナツの穴は危険な窮乏を示していて、ドーナツの外側には危険な環境の悪化が描かれています。すなわち、このドーナツの図で、人類の課題と向かうべき方向を描いているのです。

 

本書の主題は、右肩上がりの成長曲線ではなく、どうすれば人類が、ドーナツの中におさまるか、という問いです。もし、21世紀の人類の目標が、このドーナツの中に入ることだとすれば、はたしてどんな経済学の考えかたが有効なのか、20世紀の経済学の有名な図と思考モデルを次々に書き換えていきます。

 

本書がドーナツのようにおいしいかはわかりませんが、経済学がここまで面白く、人類が抱える問題に立ち向かえるのだという希望を与えてくれました。

 

 

『ドーナツ経済学が世界を救う 人類と地球のためのパラダイムシフト』河出書房新社
ケイト・ラワース/著

この記事を書いた人

三砂慶明

-misago-yoshiaki-

「読書室」主宰

「読書室」主宰 1982年、兵庫県生まれ。大学卒業後、工作社などを経て、カルチュア・コンビニエンス・クラブ入社。梅田 蔦屋書店の立ち上げから参加。著書に『千年の読書──人生を変える本との出会い』(誠文堂新光社)、編著書に『本屋という仕事』(世界思想社)がある。写真:濱崎崇

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