2019/01/14
高井浩章 経済記者
『大統領失踪』(早川書房)
ビル・クリントン、ジェイムズ・パタースン/著
越前敏弥・久野 郁子/訳
元米国大統領が書いた、大統領を主人公としたエンターテインメント小説というだけで、「勝負あった」感のある秀作だ。
政権基盤がもろく、弾劾の淵にある大統領ダンカンは、米国を突如として襲う未曽有のサイバーテロの脅威に秘密裏に立ち向かうため、「失踪」という奇手に出る。テロ集団の正体や関係各国の思惑が見えないまま、大統領と腹心たちはあらゆる手立てで米国と世界の破滅に立ち向かう。
そんな筋立ては「アメリカンヒーローが苦難の末に人類を救う」という王道そのものであり、舞台や道具立てにも目新しさがあるわけではない。だが、共著者パターソンの熟練のプロットと、元大統領という最強の書き手が描くワシントンの政界の駆け引きやホワイトハウス内部のリアリティは読みごたえ十分で、最終盤までいくつもどんでん返しが用意され、いわゆる「ページターナー」な娯楽小説に仕上がっている。
読者はどうしてもクリントン氏本人と主人公を重ねてしまうだろうが、私にはイラク戦争での捕虜経験といった下りから、先ごろ亡くなったマケイン氏の影がちらつく印象があった。脇役の設定も、国際情勢に詳しい読者には説得力があると同時に、くどくない範囲で背景説明がなされ、その分野に疎い読者が置き去りにされる心配もない。
さて、ここまでは「至れり尽くせり」の部分をまとめてきた。実際、これは文句のつけようのない娯楽作だ。そのうえで、意地の悪い裏読みを披露したい。この作品には、現実世界と比べると、首をかしげたくなる「不在」があるのだ。
それは、米国に対する脅威としての中国の存在だ。ロシアは定番の敵役として登場するが、トランプ政権がサイバー攻撃の発信源として名指しする中国は奇妙なほど「蚊帳の外」に置かれている。ちなみに日本も全く出番がないが、これは単に現実の国際社会で存在感がないからだろう。
本作が映像化を意識して執筆されたのは想像に難くない。実際、すでにドラマ化は決まっているようだ。中国の不在に、「巨大市場での公開・配信を想定して国家としての中国と中国人を悪役にしない」というハリウッドの昨今の「不文律」を読み取るのは、穿ちすぎだろうか。
本作の大統領像には、トランプ政権への失望と、クリントン氏が思い描く理想・願望が色濃く投影されている。だが、その一方で、「理想は横に置いて『不文律』を守っておこう」という商人根性も隠しようがない。エスニシティを適度に散らした配役からも、米国映画に求められるポリティカル・コレクトネスへの配慮がちらつく。
トランプ流へのアンチテーゼである本書から、まさにトランプ現象を呼び込んだこうした欺瞞や打算のにおいがするのは、二重、三重に皮肉なことだ。
米国社会が抱える病は、かくも根深いのだな、というのが私の正直な読後感だ。
『大統領失踪』早川書房
ビル・クリントン、ジェイムズ・パタースン/著
越前敏弥・久野 郁子/訳