50歳になった男と女の 「静かにたぎる恋」とは?
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『田村はまだか』から10年…著者が到達した境地。
『平場の月』朝倉かすみさんインタビュー

 

50代の男女。元同級生。再会。病。
ちょっとどうかと思うほどに、ど直球の要素ばかりだ。しかも冒頭で片方の死が明かされている。読者は「たどり着く先」を知ってから読み始めることになる。ところが、ページが進むごとに、心は思いがけない場所に連れてゆかれる。これはそんな稀有な恋愛小説だ。

 

男は、印刷会社に勤める青砥(あおと)健将(けんしょう)。都内に住んでいたが数年前に離婚し、埼玉県南部の実家で独居している。2016年7月14日木曜日、青砥は胃の検査のため病院を訪れる。売店のレジには、須藤葉子がいた。中学校時代の同級生。彼女は夫と死別後、地元のちいさなアパートで、やはりひとりで暮らしていた。
35年ぶりの再会からの、2人の約2年の日々とはーー。

 

「舞台の上にいない人たち」の物語

 

 

───こう言っていいのかわかりませんが、設定の俗っぽさというか、定番さにまず驚きました。

 

朝倉 徹底的に凡庸な要素を揃える、ということは最初から決めていました。50歳の男女が不自然でなく出会うきっかけは、かつての同級生か職場の仲間のどっちかだろうと思いましたし、病気も、日本人女性の死因第1位が大腸がんだと知ったのでそれを採用しました。タイトルもわりと早く思いつきましたね。世の中のほとんどの人は、舞台の上ではなく平らな場所、平場で生きているわけですけど、そういう人たちの物語という意味で『平場の月』としました。中島みゆきの『地上の星』みたいなタイトルを付けたかったんです。

 

───確かに、青砥も須藤も、とても普通というか、位置的には社会の真ん中か少し下にいるような人物です。青砥の年収は350万弱、パートタイマーの須藤は200万円に届かない。

 

朝倉 それぞれの収入に見合った暮らしぶりの細部を、部屋のレイアウトや家具、日々使っている生活必需品、着ているもののメーカーなども含めてすべて考えました。不動産屋のサイトで見つけた、彼らが住んでいるイメージにぴったりだと思う物件をプリントアウトして、パソコンの前に貼って見ながら書いていました。

 

 

───2人の造形について伺います。まず青砥。中年ではあるけれど、それほどくたびれていない、魅力的なブルーカラーという感じです。情があり、相手の内面を忖度できる。すてきな人だなと思いました。

 

朝倉 わたしも青砥はすごく好きですね。いやなところも含めて、わたし自身が「こういう人いいなぁ。好きだなぁ」と思える男の人を書いてみました。

 

───そんな青砥が「太い」と形容する女性が須藤です。

 

朝倉 「ふてえ奴」って言いますよね。そこから来た「太い」です。動じない、可愛げがない、ふてぶてしいといったニュアンス。小悪魔的だったり、活発でチャーミングだったりというような、いかにも男性受けする女性とは対照的な人物にしたかったんです。使う言葉も語尾も甘い感じじゃなく、見た目も地味で、恋愛対象として選ばれにくそうなタイプ。青砥と須藤はお互いを名字で呼びますが、そういう呼び方、呼ばれ方に合う女性ですね。

 

捨てたもんじゃない、と思っている

 

───2016年7月14日の再会以降も、日付の記述が頻出するのが印象的です。

 

朝倉 その日になにをしたか、なにがあったか、青砥がはっきり覚えている日の日付ですね。全部ではないにせよ、須藤にかかわるなにかしらのことがあった日は、青砥はきちんと覚えているわけです。

 

 

───初めて須藤のアパートへ行き、「過去」の話を聞いた日、須藤が腸の内視鏡検査を受けた日、売店を辞めた日、手術を受けた日……青砥はがんに罹った須藤に、自分を頼りにして欲しいと強く思っていますが、彼女は「だれにどんな助けを求めるのかはわたしが決めたい」と、全面的には寄り掛からない。

 

朝倉 頑なさは性分なんですよね。家庭環境もあるんだけれど、持って生まれた性格ゆえだと思います。自由でいたいというきもちも強いんでしょうね。

 

───だからこそ「おれはもっとおまえのためになりたいんだがな」と言う青砥の献身と、もどかしさがとてもせつないです。

 

朝倉 さっき「青砥はすごく好きな男性」と言いましたが、たいていの男の人は、この人が大事だと思ったら、その人がピンチのときにはこのくらいやってくれるんじゃないか、言ってくれるんじゃないかという期待がわたしのなかにあるんですよ。捨てたもんじゃないんじゃないか、って。青砥のように言いたいけど言えないというひとも含めて、男性の内側にそんなきもちはあると思いたいです。

 

───うーん……ありますかね(笑)

 

朝倉 ありますよ(笑)青砥みたいなひと、探せば結構いると思うんですよ。

 

 

執筆中、迷いがなかった

 

───「死が内包された恋愛小説」は、死によって涙を誘われることが多い気がしますが、『平場の月』は「死ぬから悲しい」という小説ではありません。

 

朝倉 ああ……言われてみればそうですね。初めて気付きました。

 

───全9章あるうちの第7章で交わされる会話に、胸を衝かれない読者はいないと思います。予想外の展開でした。このような構成にしようと、初めから考えられていたのでしょうか。

 

朝倉 物語の展開や時間軸は、たとえるなら目の前に長い絨毯が敷かれているような感じで見えていて、いつ、なにが起きるかは分かっていたんです。でも、ラストは決まっていませんでした。第8章も実は最初はなかったんです。編集者さんにアドバイスを受けて書いてみたんですが、あとで読み返してみたら、この章がないのは考えられないなと思いました。

 

 

───これまでの朝倉さんの作品でも恋愛を扱ったものはもちろんありましたが、この『平場の月』のような、全編「1対1の恋愛」が描かれた小説は初めてではないかと思います。

 

朝倉  恋人同士の「関係」に焦点を当てた小説は初めてですね。今回の執筆はすごく、はかが行ったというか筆が進んで、もの書きとして幸せな時間を過ごせたという実感があります。執筆期間は実質3カ月くらいだったんですが、驚くほど集中できて、しかも迷いがなかった。こんな日が毎日続くといいなと思っていました。書きあげたとき「あ、これは今の時点での精いっぱいだな」と心から思えましたし、あの集中を自分はこれから何回でも繰り返せるという自信もつきました。

 

───本の装幀も、物語に寄り添ったすばらしいデザインなんですよね。帯の折り返し部分に描かれた自転車や、扉部分のワンピースの絵にぐっときてしまいました。

 

朝倉 装幀についてはわたしからはなにもリクエストしなかったんですが、タイトル文字の色やフォントのかたちとかも、こんなふうにしていただけたんだと嬉しかったですね。読後は表紙カバーを取って、本体の装画を見ていただけたらと思います。

 

 

インタビュー 北村浩子

 

 

『平場の月』光文社
朝倉かすみ/著

 

朝霞、新座、志木――。家庭を持ってもこのへんに住む元女子たち。元男子の青砥も、このへんで育ち、働き、老いぼれていく連中のひとりである。須藤とは、病院の売店で再会した。中学時代にコクって振られた、芯の太い元女子だ。50年生きてきた男と女には、老いた家族や過去もあり、危うくて静かな世界が縷々と流れる――。
心のすき間を埋めるような感情のうねりを、求めあう熱情を、生きる哀しみを、圧倒的な筆致で描く、大人の恋愛小説。

 

朝倉かすみ
1960年北海道生まれ。2003年「コマドリさんのこと」で北海道新聞文学賞、2004年「肝、焼ける」で小説現代新人賞を受賞。2009年『田村はまだか』で吉川英治文学新人賞を受賞。2017年『満潮』が山本周五郎賞候補に。ほかに『ロコモーション』『てらさふ』『乙女の家』『ぼくは朝日』など。

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