2018/12/19
田崎健太 ノンフィクション作家
『牧水の恋』文藝春秋
俵万智/著
ノンフィクションとは「取材する」「資料を調べる」「考える」「執筆」という四つが揃った「知的総合格闘技」だとぼくは思っている。ただし、その取り上げる題材がすでに歴史の中に組み込まれており、取材対象者が生存しない場合、「取材する」という手段は使えない。その場合は、二番目の「資料を調べる」に頼ることになる。
俵万智の『牧水の恋』(文藝春秋)は、〈白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ〉などで知られる歌人、若山牧水の短歌と評伝を元に描かれた作品である。
主人公は若山と、その恋人である小枝子――。
この本で舌を巻くのは、歌人である俵の短歌へ読み込みの深さだ。加えて彼女は、男女の機微を軽やかな調子で分析する。
小枝子と知り合ってしばらくした頃、若山は「夜のうた」と題する十五首の連作を発表している。
こんな歌である。
〈寝すがたはねたし起こすもまたつらしとつおいつして虫を聴くかな〉
〈ふと虫鳴く音たゆればおどろきて君見る君は美しう睡る〉
これは若山の部屋で詠んだ歌のようだ。若い男女が何度も会い、女は男の部屋へ行く。その寝姿を男は眺めている――。
恋が成就したものと読み取ることも出来る。
しかし、俵は、この段階では男女の関係はなかったとみる。
〈一連では、女の寝ている姿ばかりが詠まれている。なんだか不自然なまでに。これはどういうことだろうか。
互いに心は惹かれあっている。だからつい遅くまで長居してしまう。そんな中、若い牧水が、なんとなく怪しからん雰囲気を持ちはじめたとしてら、どう拒むのが有効か考えてみよう。あからさまに抵抗するのは、気まずい。嫌いな相手では、ないのだから。いよいよ怪しくなる一歩手前で察知して「少し疲れましたわ。横になっても、いいかしら」などと言って、さっさと寝てしまう……これが小枝子のとった作戦だったのではないだろうか〉
女性ならでは視点から、小枝子の心を解説するのだ。
連作の最後はこんな歌で終わっている。
〈をみなとはよく睡るものよ雨しげき虫の鳴く音にゆめひとつ見ず〉
“をみな”とは若く美しい女性の意だ。
〈「をみなとはよく睡るものよ」……それ、作戦ですから! 巧妙な防衛策ですから! と教えてあげたい。雨のように激しく虫が鳴こうが、夢一つ見ない風情で眠り続ける女。一連を通して見えてくるのは、目に見えぬバリアを張り巡らす女を前に、完全にお手上げ状態の男の姿である。女のほうが一枚うわてとも言える〉
俵の手引きで若山の歌を読んでいくと、恋に無器用な若き歌人のうろたえる姿が見えてくる。
ノンフィクションの書き手であるぼくは、俵の歌に対する理解に加えて、情報を推察する力も興味深かった。
例えば――。
後年、若山は「小枝子」の名前を出す歌を詠んでいる。それまで熱烈に小枝子を題材に取り上げながら、名前を歌の中に使ったことはなかった。これについて俵は、この時期、小枝子と関係を続けて行くことに若山が諦めたからだろうと書く。
〈妙なたとえかもしれないが、今住んでいる場所というのは、あまり人に知られたくない。現在進行形で、そこに暮らしているうちは、すべての事態が流動的だから。私自身、石垣島に住んでいたとき、はじめは「沖縄在住」ぐらいにしていた。が、今や石垣島の「崎枝」という集落にいましたと、そのコミニュティの素晴らしさを積極的に語っている。引っ越しが決まったとたん安心して、住んでいる街について書いたり語ったりする人は多い〉
小枝子を巡り、若山は深刻な三角関係に陥り、酒に溺れていた。この酒癖は終生収まることなく、最終的に彼は肝硬変で命を落とすことになった。
若山は小枝子に“二重”に裏切られていたと本書には書かれている。
この本を読むまで、ぼくにとって若山は教科書に載っている過去の歌人でしかなかった。読み進めるうちに、生活能力に欠け、優柔不断で、酒に逃げてしまうという、実に人間らしい血の通った若山の姿が浮かび上がってきた。さらにその若山を暖かく見守る俵の気配も感じたのだ。
本を閉じた後、若山と酒を酌み交わしたいと思った。
「悪い女に捕まりましたね。でも、魅力的な悪い女でした。だからこそ貴方は、いい歌を詠むことが出来た」
そして酔いが回った頃、この本を書いた俵を含めて、女には敵いませんね、と若山の肩を叩くのだ。
『牧水の恋』文藝春秋
俵万智/著