2018/10/11
藤代冥砂 写真家・作家
『通勤電車でよむ詩集』NHK出版(生活人新書)
小池昌代/編著
多くの書物の森に深く入り、輝くフレーズを自らの手で、いや目で探し当てることは、本好き共通の喜びだと思う。
短く選りすぐった言葉の繋がりにおいて、詩はやはり孤高の位置にあるのだが(俳句、和歌などもそう)、時間の限られた人にとって、書物の森に深く入ることは、実際難しく、何歳になっても、その歳相応の案内人の存在は有難い。
だが、案内人といっても、千差あり、どの分野でもそうだと思うが、相性のいい案内人を見つけるのも一苦労。結局何につけても手間はかかるようだ。
だが、世間には、幸運というものがある。幸運は落ちていることもあるが、こちらから捕まえることもある。
『通勤電車で読む詩集』。電車のない沖縄に暮らして八年目。すでに、通勤電車という言葉すらからも距離ができたが、上京の折に通勤電車、満員電車を使うので、まだ別離とまではいかない。現在、電車内での暇つぶし、仕事の続きは、スマホの独壇場であろう。漫画雑誌や新聞を見つめる目は希少になっている。その事態の中で、『通勤電車でよむ詩集』というタイトルには、懐古というよりも、攻めを感じる。
まあ、それはさておき、時々ふと、良質の言葉に出会いたいという思いが高まる時がある。格言とか箴言とかではなく、良質の言葉にである。
上からな物言いで恐縮ではあるが、私にとって良質の言葉とは、佇まい、品格とも違う。言葉から離れていける力や雰囲気を持っている言葉。格言、箴言が、言葉が思考に重みを加えるのに対して、良質の言葉とは、言葉によって言葉が、ちょうど蝶々の変態のように、別の次元へと放たれていくのに近い。
この本は、詩のアンソロジーであり、多くの詩人が一世一代の詩を放っている。言葉の森の案内人は、小池昌代さん。彼女の後ろ姿を辿りながら、時折指差す方へと首を回せば、美しい言葉が待っている、そんな本だ。あまり好きではなかった詩人もこの中には収まっているのだが、彼女の案内で眺めると、ああ、こういう詩人だったのかと、改めての発見がある。やはり案内人というのは大切だなと思う。
アンソロジー詩集というのは、多くの作品が集められているのだから、読者によっては好き好きがあるはずだが、この本に収められている作品は、どういうわけだが、すとんすとんと、私の心の中にスムースに入ってきた。それぞれへの感動と共に。
幸運というのはあるのだ。この場合、こちらからこの本へと手を伸ばしたことがきっかけだったから、動くというのも大切だと思った。
未知な場所へと放たれていくそれぞれの詩を見つめ、眺め、触れ、そして見送るたびに、アンソロジー詩集というのは、空港のようだと思った。多くの詩が離発着している感じだ。
また、それぞれの詩に添えられた、小池昌代さんのコメントが、楽しみでもあった。こういう見方があるのか、という感心よりも、感想に、こういう言葉を当てるのかという驚きは、また別の詩が付録にあるかのよう。キャラメルについている小箱の中にプラスチックのおもちゃがあるように。
『通勤電車でよむ詩集』。私は、朝と夕、心がどこかへ赴く前と、帰って来る時に、この本を開いている。
―今月のつぶやきー
沖縄で台風慣れしたはずも、24号の猛威には恐怖を覚えた。台風後にはそこかしこで倒木が見受けられ、うちの木麻黄も5メートルほどの枝が何本も折れた。さらには、次の25号も迫っている。その前に折れかかった枝の剪定を業者の方に行ってもらう晴れた午後
『通勤電車でよむ詩集』NHK出版(生活人新書)
小池昌代/編著