2018/12/18
長江貴士 元書店員
『宇宙はなぜこのような宇宙なのか――人間原理と宇宙論』講談社現代新書
青木薫/著
「青木薫」という名前は、一般的にはそう知られてはいないかもしれないが、翻訳モノの理系ノンフィクションを読む人にはお馴染みの名前だろう。著名な理系ノンフィクションを数多く手がける翻訳者として知られている。「青木薫訳」というのは信頼のブランドであり、「青木薫訳」の作品を選んでおけば間違いない、と言って言い過ぎではない。
以前僕は、「光速より速い光」という作品を読んだことがある。しかし、読む前にちょっと躊躇した。何故なら、少しでも物理を齧ったことがある人ならあまりに胡散臭いタイトルだからだ。アインシュタインの相対性理論によれば、どんなものも光速度を超えることはない。だから「光速より速い光」など、存在するはずがないのだ。トンデモ本だろうか…とも思ったが、訳者が「青木薫」であることに気づいて買うことに決めた。結果的には、メチャクチャ面白い本だった。それぐらい、僕は「青木薫訳」を信頼しているし、業界的にも信頼度の高い訳者であるはずだ。
そんな彼女が、初めて出版した自著が本書だ。期待するな、という方が無理というものである。
さて、本書で扱われているテーマは「人間原理」なのだが、聞いたことはあるだろうか?これは物理学においては超絶ヤバイ話である。著者も本書の中で『とんでもない考え方』と評している。
物理学はこれまでにも、様々な主張をしてきては、人々を困惑させてきた。古くは、「太陽の周りを地球が回っているんだ」と主張して大変なことになった人もいるし、「宇宙は膨張している」「原子はほとんどスッカスカ」など、その当時の常識から外れた考え方も現れた。現代では、相対性理論が「時間も空間も観測者によって伸び縮みしまーす」と言うし、量子論が「一個の原子が二つのスリットを同時にすり抜けましたー」なんてことを言うわけで、物理学では頭のイカれた話がオンパレードなのだ。
しかし、それらと比べても「人間原理」のヤバさはちょっと比ではない。何故なら「人間原理」は、こんな主張をしているからだ。
『宇宙がなぜこのような宇宙であるのかを理解するためには、われわれ人間が現に存在しているという事実を考慮に入れなければならない』
意味が分かるだろうか?もっと端的に言えば、「宇宙は、知的生命体が生まれるような構造をしている」ということだ(「人間原理」にも色々種類があり、これはその中でも最も強い表現であるが)。この考え方は、容易に「神」や「創造主」の存在を連想させるだろう。だから、「人間原理」が提示された時、強烈な拒絶反応を抱いた科学者は多かったというし、著者も似たような反応だったという。しかしこの「人間原理」、現在では、簡単に無視出来ないものとして捉えられている。
本書は、どういう歴史的背景から「人間原理」などという考え方が生み出され、それがどのようにして一定の評価を得るに至ったのか、そして「人間原理」という考え方を取り込むことで、現在の宇宙論はどう変わったのかなどについて描かれている作品だ。
本書は、古代の宇宙論からスタートするのだが、この記事では一気に現代まで話を進めよう。科学者たちは、物理学の研究をしていく中で、「あれこれの物理定数は何故この値なのか?」という疑問を抱くようになる。例えば「重力」は何故この大きさなのか? などだ。この問いに何故意味があるかと言えば、「重力」が今よりちょっと強くてもちょっと弱くても、僕らが生きている宇宙は生まれていなかったと言えるからだ。これは他の物理定数も同じだ。観測できる物理定数の多くが、その値が少し違っているだけで、今の宇宙を成り立たせることができなくなる。
科学者の一部が、様々な物理定数からこのような「コインシデンス(偶然の一致)」を見つけ出していくと、それらをどう捉えるかが問題になってきた。そういう流れで生み出されたのが「人間原理」なのだ。つまり、「様々な物理定数が今の宇宙を成り立たせるような値なのは、宇宙を観測する存在である人間を生み出すためだ」という考え方が現れるようになってきたのだ。
しかし、そんな突拍子もないことを科学者たちはすんなり受け入れるはずもなく、こう考えるようになった。「物理定数が違った値を取る無数の宇宙が存在するのではないか」と。僕ら人間が生まれた宇宙は確かに人間が生まれるように物理定数の値が調整されているように見えるが、しかしそれはたまたまであり、色んな物理定数の値を取る無数の宇宙が実は存在していて、そちらの宇宙では人間(知的生命体)は存在していないのだ、という解釈である。
こういう考え方は少しずつ受け入れられるようになっていく(しかしその時点で、多数の宇宙が存在するという根拠は一切なかった)。そこには二つ背景があった。一つは、「エヴェレットの多世界解釈」の存在である。プリンストン大学の大学院生だったエヴェレットが提唱した、世界はどんどんと分岐していく、という考え方で、量子論という分野で当時広く知られていた。そんな時代に「無数の宇宙が存在する」という話が出始めたことで、受け入れる余地があったのではないか、と著者は指摘する。
そしてもう一つが、ビッグバン宇宙論がほぼ正しいと認められたことにある。科学者は、「宇宙がビッグバンから始まった」ということを受け入れると同時に、「ビッグバンが一度きりだったはずがない」とも考えた。科学者というのは、「起こりうることは何度でも起こる」と考える人種なのだ。もしビッグバンが何度も起こっているとするならば、宇宙が無数にあるという考え方も当然だ、ということになる。
さてこのように、「人間原理」を採用せずとも納得の行く説明が得られるようになったのだが、また「人間原理」が注目される出来事が起こった。それは「アインシュタインのλ(ラムダ)」と呼ばれる数値に関するものだ。科学者たちはこの「λ」の値を「0」だと考えていた。しかし実際には、「0」ではなく、極小ではあるがちゃんと値があったのだ。そしてその値を、「人間原理」の考え方を使うことで予測していた人物がいた。ノーベル賞受賞者のワインバーグであり、彼は「人間が存在する、ということと矛盾しないために、λはどういう値であるべきだろう?」と考え、120桁もゼロが続いた後で有限な値を計算してみせた。そしてそれがなんと観測結果と一致したのだ!これは科学者たちを驚かせた。
さらに「ひも理論(超弦理論)」が、「人間原理」の解釈をさらに広げていくことになる。
「ひも理論」の研究によって、様々なタイプの宇宙が許容され得ることが明らかになっていった。その数なんと、10の500乗以上というから驚きだ。「10の8乗=1億」だから、10の500乗というのは、1億を60回掛けてもまだ足りないぐらいの数だ。「ひも理論」は、そんな途方もない、ほとんど無限と言ってもいいくらいの宇宙像を許容することが分かってきたのだ。「ひも理論」によって、むしろ無数の宇宙が存在するということの方が自然である、ということが理解されるようになっていったのだ。
「物理定数は何故この値なのか?」という問いから生まれた「人間原理」は、最終的に「様々な宇宙があるはずだ」という考え方を生み出していくことになった。そこに行き着くまでの科学者たちの困惑と奮闘を、是非読んでみてほしい。
『宇宙はなぜこのような宇宙なのか――人間原理と宇宙論』講談社現代新書
青木薫/著