2019/02/19
高井浩章 経済記者
『FACTFULNESS 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』日経BP社
ハンス・ロスリング、オーラ・ロスリング、アンナ・ロスリング・ロンランド /著
上杉周作、関美和/訳
医師であり、公衆衛生の研究者だったハンス・ロスリングの遺作。プレゼンテーション動画サイト「TED」の愛好者なら、緻密な統計分析とユニークなパフォーマンスを組み合わせて、エンターテイメントにまで昇華させた見事なプレゼンをいくつもご覧になったことがあるだろう。私もファンの一人だ。
タイトルの「ファクトフルネス」は造語だ。やや長めの日本語版の副題にある「思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣」を指す。著者がなぜこんな造語を作ったかと言えば、現実の世界と人々の認識の間に、あまりにも大きなギャップがあるからだ。
冒頭には「チンパンジークイズ」と銘打った3択問題が13問掲載されている。ネットで話題になったのでチャレンジされた方もいるだろう。例えば「世界の子供で何らかのワクチンを接種してる割合は?」といった問題には20%、50%、80%という選択肢が用意される。正解は80%なのだが、先進国の人々にこの問題を出すと、多くの人が最も悲観的な20%を選ぶ。ランダムに選んだ場合=チンパンジーより、「人間」の成績は悪い。しかも、この「人間」には、最も賢明なはずのエリートたち、たとえばノーベル賞受賞者や世界的な金融機関、あの「ダボス会議」の出席者などが含まれる。
著者はこれでもかとデータを列挙し、アフリカやアジアの低所得国・中所得国の状況がこの20年で劇的に改善し、「先進国」と「発展途上国」という二分法の枠組みはもう通用しないと強調する。そして「発展途上国」、特にアフリカやイスラム諸国の将来に対する悲観論に対して、根拠のない思い込み=ファクトフルネスの欠如だと断じる。
紹介されるデータの多くは、実はTEDのロスリングファンならおなじみの話題だ。だが、TEDを未見の読者なら目からウロコの連続だろう。著者個人の医師・研究者としての歩みについては、本書で初めて知る方も多いだろう。
さらに本書が素晴らしいのは、こうした啓蒙書にありがちな「上から目線」は皆無で、むしろ謙虚かつ真摯でありながらユーモアあふれる人柄が筆致ににじんでいることだ。実際、私は読んでいて何か所かで声を出して笑い、発展途上国(まだそんな状態だった時代のころの、文字通りの発展途上国)での一医師としての体験や率直な失敗談の告白には、強く心を動かされた。
著者は自らを、楽観主義者ではなく、「可能主義者」だと定義する。可能主義者はこれまた造語で、根拠のない希望も不安も持たず、「人類のこれまでの進歩をみれば、さらなる進歩は可能だ」と考える立場を指す。
世界に広がる「トランプ的なるもの」などに目を向ければ、悲観論に傾きたくなる。だが、スティーブン・ピンカーが「暴力の人類史」(青土社)で示したように、長い人類史という視座からみれば、世界は良い方向に向かっている。
図版も多く、訳文もこなれていて非常に読みやすい。現代人必読の一書だろう。
『FACTFULNESS 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』日経BP社
ハンス・ロスリング、オーラ・ロスリング、アンナ・ロスリング・ロンランド /著
上杉周作、関美和/訳