なぜ彼らは「どうやってここにたどり着いたのですか」と聞かれるのか『ザ・ディスプレイスト 難民作家18人の自分と家族の物語』

小池みき フリーライター・漫画家

『ザ・ディスプレイスト 難民作家18人の自分と家族の物語』ポプラ社
ヴィエト・タン・ウェン/編 山田文/訳

 

 「世界には、ただ生きのびるために自分が生まれた場所を去り、思ってもみなかった場所で死ぬ人がたくさんいる。世界には、ここまで(それがどこであろうとも)たどり着けなかった人がいたるところにいる」

 

 この文章を書いたのはボスニア・ヘルツェゴビナ生まれの作家、アレクサンドル・ヘモン。1992年、数ヶ月の滞在の予定でシカゴを訪れている間にボスニア・ヘルツェゴビナ紛争によって故郷の街サラエヴォが包囲され、帰国できなくなった。ボスニア人は、戦前の国内人口のうち、およそ4分の1が国外に追われている。ヘモンはボスニア人と会う度に、「どうやってここにたどり着いたのですか?」と聞くという。

 

 と、こんな書き出しにしておきながら恥ずかしいのだが、難民問題のことが私は今でもよくわかっていない。そう、私が難民問題について知っていることは、本当にごくわずかだ。

 

 さまざまな理由で生まれ故郷から他国へと逃れ(あるいは追われ)、しかしその最中も後も、「難民である」という理由で激しい攻撃に晒され、人としての尊厳を脅かされている人々がいるということ。そして日本は難民をほとんど受け入れない、難民に対して基本的に「冷たい」国であるということ……そのくらいだろうか。

 

 そして、たったこれだけの「知っていること」を改めて並べてみても、難しい、私などには手に負えない話だ、と思ってしまう。

 

 だけどそれは、「あまりに酷いテーマからは無関係でいたい」という逃げの気持ちなのかもしれない。そうだとしたら、もう少しだけでも勇気を出したい。そんな思いから本書、『ザ・ディスプレイスト 難民作家18人の自分と家族の物語』(ヴィエト・タン・ウェン編、山田文訳)を手に取った。

 

 本書は、ヴェトナム生まれアメリカ育ちの作家――つまり“難民作家”の一人であるヴィエト・タン・ウェンが編んだ、難民作家たちのエッセイ集(一部エッセイでないものもあるが)である。

 

 タイトル通り、これは「自分と家族の物語」であって、国際政治やヘイトクライムについての教養書ではない。アフガニスタン、東ウクライナ、メキシコ、エジプト……さまざまな国出身の難民作家たち、それぞれに優れた才能を発揮し作品を作り続けている人たちが、「どうやってここにたどり着いたのですか?」という問いに答えるものだ。

 

 ひとつひとつの文章は短く、中高生でも読める程度に平易である。書かれている内容も、それぞれの子ども時代がどうであったか、父や母、祖父母がどんな人だったか、そんな話が多いので頭に入ってきやすい。現実の残酷な側面――地雷原や打ち捨てられる死体、拷問などについての情報は、かなり抑制されている。だけど、ひとつひとつのエピソードは重たい。

 

 メキシコ生まれのレイナ・グランデは、アメリカで両親と過ごした日々についてこう語る。

 

「わたしが成長してアメリカに同化すると、それもわたしと両親を隔てる壁になった。スペイン語のかわりに英語を学んだら、ことばも距離を広げた。中学校に入学した日、わたしは父と母をこえた。ふたりは小学校しか出ていなかったから」

 

 こちらはイラン生まれのディナ・ナイエリーの話。

 

「イランにいたとき母は医者だった。アメリカでは製薬会社の工場で働いて、自分の4分の1しか教育を受けていない上司や同僚からいつも頭のできを疑われた。判断材料はアクセントだけでじゅうぶんだった」

 

 それが自分だったら? 自分の親だったら? 「自分と家族の話」という普遍的なコンセプトは、私に自然とそんな想像を促す。

 

 もっとも印象に残ったのは、イラン生まれのポロチスタ・カークプールによる「移民でいる十三の方法」だ。ポロチスタは二人称で、自分の半生を私小説的に淡々と綴っていく。

 

「あなたは作家になって本も出した。アメリカ人作家。いや、イラン系アメリカ人作家。作家にとっては、『系』がとても大切みたい」

 

 この一文の中に、彼女の居心地の悪さと諦めと、だけど決して誰にも譲り渡しはしない強い違和感が示されている。そして読み手の私は、ほんの少しだけこう思うのだ。その違和感なら、私も少しだけ知っている、と。

 

 性別、年齢、仕事、生まれ育ち、ある種の信条。それらが自分を周囲から切り離す瞬間とを、私もこの32年間で無数に味わってきた。

 

 それはもちろん、命の危機や、強姦の可能性と直結してはいなかったかもしれない。だけど、自分のこの感覚の延長線上に、分断されてはいないどこかに、彼女の違和感が存在することを強く感じる。そして本書に文章を寄せた18人の作家たちも、読者のそんな感じ方を、どこかで予感していたのではないかと思う。

 

 この感覚が「無関係でいたい」という恐れに対する最後の防波堤になるのだと、本書を読み終えた私はすでに知っている。6000万人の難民を私一人で救うことは到底できない。でも無関係ではない気持ちでいることはできる。そこから始めるしかない、と改めて思った。本書を通じて、私はひとまず「そこ」にたどり着いたらしい。

 

『ザ・ディスプレイスト 難民作家18人の自分と家族の物語』ポプラ社
ヴィエト・タン・ウェン/編 山田文/訳

この記事を書いた人

小池みき

-koike-miki-

フリーライター・漫画家

1987年生まれ。愛知県出身。2013年より書籍ライター・編集者としての活動を開始。『百合のリアル』『残念な政治家を選ばない技術?選挙リテラシー入門』など、新書を中心に書籍の企画・構成に関わる。エッセイコミックの著書に『同居人の美少女がレズビアンだった件』『家族が片づけられない』がある。

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