2019/09/02
横田かおり 本の森セルバBRANCH岡山店
『神様の暇つぶし』文藝春秋
千早茜/著
あのひとと、出会う前の私と出会ってしまった後の私は、まるっきり違う人間になってしまった。そんな出会いをすることは、はたして「しあわせなこと」だと言えるのだろうか。
何度考えても、わたしは明確な答えをだすことができない。
きっと、傍目には何も変わっていないように見えるのだろう。私が変わってしまったのは、あくまでも内側だから。あのひとのことばかり考えて、会いたくて触れたくて、引きちぎれそうなこころ。あのひとを受け入れるためだけに開いたからだ。けれど、私の前からあのひとは姿を消してしまった。残されたのは、あのひとの痕跡が残るこころとからだを引きずるようにして、生きている私だけだ。
この物語に綴られているのは、喪ってしまった恋の記憶。まだ、生々しい傷跡が残ったままの、あのひととの思い出のきれはし。そんな物語を読むことは、痛くてつらくて、切なかった。わたしのなかに残る痛みを伴う記憶が、鮮やかに蘇るようでもあった。けれどわたしは、この物語から目を背けるわけにはいかないと思った。わたしの傷を、見なかったふりをするわけにはいかないと思ったから。
あのひとと、物語の主人公の藤子が出会ったのは、初夏の夜だった。父が不慮の事故で亡くなり、たったひとり残されてしまった藤子が暮らす家に突然やってきたのは、父より年上に見える男性。無精ひげに白髪の混ざる髪は無造作に一つに束ねられており、左腕からは血を流している。こちらを射抜くような鋭いまなざしは、思わずたじろんでしまうほどだった。闇の中に浮かび上がる、発光したような瞳の白さと、てらてら光る赤い血。父の死を知らずに訪ねてきたあのひとは、かつて父の友人だったひと。藤子が幼い時、一緒に遊んだこともあるという父の長年の友人。傷の治療をした藤子にぶっきらぼうな感謝の言葉を残し、あのひとは近所にある元写真館に消えていった。その姿を見て思い出す名前があった。
あのひとは、全さんいう名前だった。
父よりも10歳ほど年上の全さんと、20歳の藤子はその夜をきっかけに顔を合わすようになった。大抵は全さんが前触れもなく藤子の家に現れ、二人で食事をした。決して家には泊まらず、夜には元写真館に戻っていく背中を見つめる日々。かと思うと、ぱったり姿を現さなくなる。
元写真館に出入りする女性たちの存在。あのひとを刺した人、だろうか。全さんに捨てられたと半狂乱になった女に迫られたこともあった。光と影の狭間で被写体の真実の姿をあぶりだす著名な写真家でもあり、自身も光と影を色濃く纏う、あのひと。あまりにもかけ離れた世界に生きる二人が、交わることはないはずだった。
けれど、藤子は全さんと時を過ごすうちに、気づいてしまった。
「このひとに、触れたい」
重ねる時間と、あのひとの存在そのものが、藤子のこころを変えていった。
「全さんが教えてくださいよ」「私に、男を」
失言だった。あのひとは、藤子の言葉をすげなくかわし、それからめっきり姿を現さなくなった。全さんの姿を再び見つけたとき、藤子には全さんしか視界に入っていなかった。まっすぐ、ただまっすぐ突き進んだ。藤子は自転車に乗ったまま、車に乗り上げた。
「逃げないでください」
もう二度と、全さんの手を放したくなかった。病院に連れて行かれて、食事をして、藤子の家に帰ってきたとき、二人の間にはもう、抗いがたいものが生まれてしまっていた。
驚くほど熱い体温を宿したあのひとに足首をつかまれたとき、逃げられなくなってしまった。いや、本当はこの時を待ち望んでいたから、逃げなかった。熱いと感じていた全さんの熱が藤子に流れ込み、互いの体温が混じりあって違和感がなくなったころ、あのひとはぽつりと呟いた。
「俺はひどいことをしたんだろうな」「おまえに」
触れ合えば全てが分かりえると思っていた若く生命力あふれる藤子と、じわじわと内側から生命を削り取られていたあのひと。二人のピークは、この夜だったのだろう。からまる視線がほどけられなくて、交じり、混ざり合い、逃れられなくなってしまった濃密な一夜。
それからほどなくして、二人の間に銀色の塊が現れるようになった。抱き合ったあとの藤子を、まどろむ藤子を、全さんは写真に撮るようになった。そこには、思いもよらない藤子の姿が映っていた。それは、神々しくさえ感じられる自分自身の姿。自分でも考えないと分からないようなパーツのアップ。シーツをつかむ手のかたちは、何かを訴えかけているようだ。体中に血を巡らせ、潤み、締まり、緩んでいくからだ。私の体は、こんなにも美しく表情豊かで、生命力に溢れていたのか。写真には、絶対的な真実であるかのような藤子の姿が映し出されていた。
あのひとと、藤子が見ていた景色は、きっと全く違っていただろう。あのひとが何を想い、なぜ藤子の写真を撮ったのか。その答えが知りたくて、あのひとの声を聴きたくて、藤子とともにわたしまでもが、胸をかきむしりたくなる。
けれど、写真を見ればすべてが分かる。藤子のなかに、あのひとは“神様”を見出していたのだ。強烈な光と、圧倒的な命の躍動を宿した女神の姿を捉えていたのだ。それが、この恋が生まれた理由であり、二人が出会った意味だったのだろう。
〈わたし〉と〈あのひと〉が出会った意味は何だったのだろう、と思い返すことある。あの時のふたりに、生まれていたものはなんだったのだろう、とも。もう、あのひとが教えてくれることはないから、わたしは一人で考えなきゃならない。だから、自分の都合のよいように考えることにする。わたしは、あのひとをたしかに想っていた。そして、きっと、あのひとも。この物語を読み終えたわたしには、そうだったのだと信じられるものを、こころの中に見つけられた。
ここから、過去の傷はやがてあたたかく溶けだし、消えていくだろう。
『神様の暇つぶし』文藝春秋
千早茜/著