2019/09/03
るな 元書店員の書評ライター
『漂泊の牙』集英社
熊谷達也/著
忘れていた。
何かもっと、大事な何かを。
朝起きて顔を洗って仕事に行って働いて帰って一息ついて、数時間自分の好きなことをして眠りにつく。
それが今私が生きていることの全てで、これからもぼんやりと続いていくけれど、生きるということは、もっと生を意識していて切実で、それに対して誠実に向き合うことだということを、私は忘れていたと思ったんだ。
生まれついた場所で人生の粗方は決まっている。
そう思う。
私が生きるこの世界は原始時代ではなく、上層から最下層まで凡ゆる層から成る格差社会だ。人類は皆平等だとか言うけれど、平等など未来永劫来ないと思う。
どんなに手を伸ばしても私は大富豪にはなれないし、貴族にもなれない。
かと言って住む家がないわけではない。中くらいのそこそこ普通の層に生まれ落ちた。
だから知らない。明日一日をどう生きようかと悩む人の気持ちを。親の顔や愛を知らないでいる人の気持ちを。
知らないことは無いに等しいが、その見えない世界は、こうして物語の形をして私の前に現れる。
主人公の城島と妻靖子は同じ孤児院(文中では学園)に育ち、その後それぞれ社会に出る際に離れ離れになったが運命的な何かでまた出会い結ばれる。最愛の娘も授かった。
彼は類い稀な能力を買われ、環境庁下で絶滅したニホンオオカミの研究をしていた。現在は海外の権威の下で世界を飛び回っている。
彼が不在の折、妻が何かに襲われて惨殺される。外傷から、絶滅したニホンオオカミではないかという噂が立った。
彼と警察、地方テレビ局の女性が集まり、オオカミ探しが始まるが、程なくしてまた人間「だけ」が死亡する事件が起こる。犯人は本当にニホンオオカミなのか、それとも……?
『邂逅の森』を読んだ時も思ったが、この方の自然の描写は本当に素晴らしい。
読んでいると、目の前に白銀の世界が広がり、湯気が立ち上る城島の姿が容易く浮かぶ。
行ったこともない雪深い世界で人々が切実に生きている生が感じられた。「あのシーン」は本当に圧巻だった。
連続殺人を軸にして緊張感を持たせながら、絶滅種のニホンオオカミと人間の業を見事に書き切っているこの物語。ニホンオオカミについては民俗学からのアプローチで、背景に非常に説得力があるし、緻密な取材は物語に安心感と重厚さを連れてくる。
一見して関連のない事件が登場人物たちの生い立ちを絡めながら一気に加速するべき伏線回収は、些か勢いに欠けて説明くさくなってはいるが、それだけ人間が一筋縄ではいかないことを逆に教えてくれる。
全て物事はなんらかの理由があり、簡単なものではないと言っているようだ。それを書くとこうなるんだ、と。
あの時かけ間違えたボタンを掛け直す瞬間はあったのに直さなかった、
自分への甘さと他者への甘えとエゴで生きる鈍色の者と、誠実に厳しく生き静かに輝く者とが対峙する時、その光は闇を喰らって輝き闇は消える。
その輝きは城島と靖子の娘の中にもあった。
母を失って寂しい自分を置いて、狂ったように母を殺した何かを探す父を責めない娘が答えなのではないか。彼女の小さな目は、父や母の姿から生きることの本質を見ていた。その目を私も少しだけもらえた気がする。
良く生きるとは結果ではない。常にそう在るようにと死ぬまで向き合って、その状態を維持することなのだ。読後に改めて思った。
『漂泊の牙』集英社
熊谷達也/著