2019/09/30
坂爪真吾 NPO法人風テラス理事長
『日本社会のしくみ』講談社
小熊英二/著
本書は、「何を学んだかが重要でない学歴重視」「一つの組織での勤続年数の重視」といった日本社会を構成する雇用の在り方がどのような経緯で出来上がったのかを探求し、日本社会の暗黙のルールとなっている「慣習の束」を解明することをテーマにした一冊である。
日本社会における基本的な単位となる帰属集団である「カイシャ(職域)」「ムラ(地域)」の双方に根差していない働き方の類型=「残余型」が増える中で、これまでの日本社会を構成してきた雇用の在り方、そして教育や福祉の在り方をどう変えていくべきか、という問いは、まさに私たちが日々の生活や仕事の中で直面している課題とリンクしている。
本書を読むと、雇用や福祉に関する「常識」や「通説」として考えられてきたものが、歴史的に見ればごく浅い蓄積しかないものであることや、誤った理解や解釈によって語られがちなものであることが理解できる。
例えば、一般的には「正規雇用の数が減ったために、非正規雇用が増加した」と考えられており、そうした認識をベースに報道や議論が行われがちである。
しかし本書によれば、実際には正規雇用者の数は1984年も2016年も約3300万人で、あまり変わっていない。非正規雇用の比率が上がったのは、地方の農家や自営業者などが非正規雇用の形で働くことが多くなり、結果として雇用労働者全体に占める正規雇用者の比率が下がったからである。
また昨今「老後は年金だけで生活できない」ということがメディアで問題化されているが、バブル経済の余韻が続いていた1993年の時点でも、年金だけで生活できる人は三分の一程度にすぎなかったという。日本の年金制度は、元々大企業の正社員以外の人は高齢になっても働くことが前提になっている制度だということがわかる。
世間に溢れている「常識」や「通説」の呪縛を解きながら、私たちの働き方を規定する「慣習の束」が作られていく歴史を辿ることは、それ自体が知的好奇心を満たしてくれる体験になるが、本書の効用はそれだけではない。
戦後、進学率の上昇と労働運動の影響で新卒一括採用・長期雇用・年功賃金が現場労働者レベルにまで拡張し、それに対応する形で、戦前の官庁・軍隊型システムの延長で作られた「能力」によって全社員を査定し「資格」を付与していく職能資格制度が導入され、「社員の平等」が実現した。
しかし、1970年代の後半以降、「社員の平等」の外部(=出向・女性・非正規)が生み出されていき、正社員と非正規雇用の二重構造が生み出されるようになる。一方で、現在に至るまで日本型雇用のコア部分は変わらずに維持されている。
こうした歴史を理解することで、現代における多くの社会課題の源流と構造が見えてくる。
「問題の歴史的背景や構造を理解せずに、ただ強い言葉を叫んで瞬間的に気持ちよくなること」は、社会課題の解決の現場において、私たちが陥りがちな罠である。
こうした罠に陥らないための知恵と冷静な視点を授けてくれる本書は、人文社会科学の基礎研究であると同時に、「社会を変えたい」と考える人にとっての基礎文献になるだろう。
『日本社会のしくみ』講談社
小熊英二/著