2020/02/12
藤代冥砂 写真家・作家
『この指がISから町を守った クルド人スナイパーの手記』光文社
著/アザド・グディ 訳/上野元美
クルド人。おそらくほとんどの日本人にとっては、馴染みの薄い名前だろう。知っていても、その実態を把握している人は、少ないと思う。本書は、そのクルド人のスナイパーがクルドの民衆のために身を捧げた、ある戦闘での手記である。
内容は、当然のごとく戦闘場面のリアルな記述が大半を占めている。
まず、スナイパーという役割が、どういうものなのか。その役割に徹することで、その者の人間性がどう変化していくのか、その辺りが克明に記されている。そして、寒さと飢えと乾き、砂埃と爆風爆音、隣り合わせの死の真っ只中に晒されている感覚が読書を通してリアルに立ち上がる。それは映画を見ている以上に想像力に訴え、現実を知ろうとする好奇心をさらに刺激して、久しぶりの止まらない読書となった。
普段は、戦争関係の本に対しては抵抗があり、それは読む前から予想される読後の無力感、絶望感を避けようとしているからだ。戦争紛争のニュースも同様に、現実を知らなくてはいけないと考えるのだが、日々雑多な事象をこなし、個人の時間くらいは、ある種の憩いを求めがちな中で、戦争紛争関係に対しては、ハードルが高いなと感じてしまうのが正直なところである。それは恥ずかしいことなのだが、それでも定期的には、向き合うことにしてもいる。
本書によれば、クルド人というのは、世界でも最古の民族のひとつだという。農耕を始めた人たちとしても歴史上に輝いている。そんな誉高い民族なのだが、現在は固有の国土を持たず、主にイラン、イラク、トルコに分散している。それぞれの国にとって、クルド人は独立運動などが絡んでキナ臭い存在で疎まれている。
25年くらい前に、トルコを旅してた時のことだ。ある街外れにクルド人の古城があると聞き、雪の降る中を一人で二時間ぐらい歩いて訪れたことがある。知り合いになったトルコ人からは、クルド人はテロリストだから気をつけろと忠告されたのだが、それを無視しての行動だった。古城に到着すると、番人が出てきて対応してくれたのだが、なにせ言葉が通じない。お願いしてポートレイトを撮影させてもらったことに満足して帰った、というだけの話だが、50歳前後のその男が私が初めてそれと知って会ったクルド人だった。
トルコ側から見たらクルド人は、国の安定を揺るがす敵であり、テロリストであっただろう。それは当時の無知な私のクルド人へのイメージに強く影響を与えた。だが、実際会った城の番人は、善良そうな落ち着いた好人物であった。
私が個人的に感じ得たこの非対称は、実は世界の情勢を知る大きな地図を開く時にも基本的に起こりがちである。その際に必要なのは、それを正確に知ろうとする個人の好奇心の純度に他ならないと思う。あらかじめどちらかに組みするような位置から始めずに、左右に首を振って、双方の言い分をしっかり把握すること。それは兄弟喧嘩を仲裁する親の視線に近いので、難しいことではないと思う。
本書の語り手である若きクルド人スナイパーの、語り口は極めて冷静だ。それは優れたスナイパーとしての彼の元々の資質でもあるのだろうが、その冷静な語りによって、読者はこの本がいわゆる「戦闘モノ」の範疇に収まらず、民族、国際政治、家族、生き方、友情、民主主義、未来図など、様々な方向へと思索を広げる多くのドアを持っていることに気づくだろう。
クルド人としての出自を持ちながら、イランに生まれ、兵役義務によって、本意ならずもイラン軍に属し、いたたまれなくなって脱走し、イギリスへ逃れ、イギリス人として成長するのだが、シリア紛争時にISによって危機に瀕したクルド人の土地へと戻り、クルド人の土地を守るための闘いにスナイパーとして参加した。このような著者が、本の終わりで、自分の半生を総括し、未来へと思いを馳せているのだが、私はこの章に深く共感した。棒線を引きまくって読書を終えた。
なぜ闘うのかという問いへの答えとして、著者はこうはっきりと記している。
「人々が望むように、ずっとそうしてきたように、人々が選んだ道を生きられるようにするためだ」
この鍵括弧で括られた部分を一言で言うなら、平和、だろう。
『この指がISから町を守った クルド人スナイパーの手記』光文社
著/アザド・グディ 訳/上野元美