2018/05/21
石戸諭 記者・ノンフィクションライター
『知性は死なないー平成の鬱をこえて』文藝春秋
與那覇潤/著
本書は論壇の寵児だった歴史学者が、うつ病になり肩書きや思考能力を文字通り失うなかで、自身を見つめ、知性とは何かを問い直した一冊である。
目次をひらくと「うつ病」「反知性主義」「生きかた」といった、一冊の本で語るにはおよそ広すぎるテーマが並んでおり、詰め込みすぎという印象がないわけではない。しかし、その点を強調して批判するのは野暮だろう。
本書に通底するのは、批判相手を嘲笑し、自らの優位性を示すためにつかわれるようになってしまった「知性」を、自らの志として取り戻さんとする著者の姿勢そのものだからだ。
論壇で流行した「反知性主義」という言葉を省察する一節が印象深い。
「知性」をもったアカデミズムの内側にいる人たちは、憲法改正や原発再稼働を推進する安倍政権を支える民意を「知性を尊重しない反知性主義」であると批判する。一方で、同じように安倍政権を批判する人たちの中にいる、たとえば「個人の性癖や病気を揶揄する」「根拠のない『放射能の危険』」を煽る人たちは批判の対象にはなりにくい。
著者は自身も過去に同じ立場で論じていたこと反省し、こう問う。党派が同じなら黙認し、党派が違えば「反知性主義」と呼ぶことは果たして「知性的な態度」であると言えるのだろうか?と。
「知識人」の姿勢に疑義を投げかける著者だが、同書は現状を批判し、幻滅し、嘆くだけものではない。「希望」も確かに見つけるのだ。
うつ病による入院、治療プログラムを経験するなかで著者は、「自分が前提としていたことは正しかったのか?」と問う患者たちの姿をみる。それは「知性」に求められてきた、現状を疑い、変えていこうとする力そのものだ。
休職や離職を余儀なくされてしまった患者たちは、社会の正規ルートから半ばドロップアウトしたと見なされがちな存在である。そんな彼らが働かせる知性の力を著者は自らの経験とともに、優しさをもって肯定する。
巷に溢れるビジネス本のように、勢いに任せて強い言葉をつかうことが「知性」だと思う人たちにとって、本書の姿勢は極めて理解しにくいものだろう。
著者が見つけた希望は、社会の中で時に深く傷つき、声も出せず、自分がおかしいのではないかと考えてしまう少なくない人たちにこそ届くはずだ。
『知性は死なないー平成の鬱をこえて』文藝春秋
與那覇潤/著