2020/04/24
大平一枝 文筆家
『旅する巨人〜宮本常一と渋沢敬三』文春文庫
佐野眞一/著
敬遠していた作家の出世作に心を掴まれて
ノンフィクション作家、佐野眞一氏の23年前の代表作である。本作の大宅壮一ノンフィクション大賞受賞によって、氏の筆名が知られるようになった。
歩いて歩いて、日本列島を地球4周分。民俗学者、宮本常一とパトロンとして彼の生活と旅を支えた実業家、渋沢敬三の知られざる絆と生涯を描いている。
ずいぶん古い本をご紹介するがご容赦いただきたい。私はついさきごろ初めて読んだ次第である。
時節柄、家にこもる日が続いている。だから“ズック靴にリュック”で死ぬまで歩き続けた宮本常一を読みたくなった。
筆が荒れた『週刊朝日』の橋下徹特集記事問題以降、佐野眞一氏の作品から遠ざかっていた私に「今読んでも、必ず心を動かされるはずだから」と読書家の編集者から強く勧められたことも大きい。
読後、後年の佐野氏の筆禍に関係なく、これは膨大な証言と資料から紡ぎあげられた優れたノンフィクションだ、と率直に胸を打たれた。
知られていないことだらけのふたり
私は、宮本常一が20代で結核を患い、亡くなるまで病弱で体調を崩しては寝込み、小康を取り戻すと旅に出るのを繰り返していたことを知らなかった。勝手に、足腰の強い強靭な体力の持ち主だと思いこんでいた。
また、第一国立銀行(現在のみずほ銀行)を設立し、東京海上火災、東京証券取引所、帝国ホテル、麒麟麦酒など多くの設立に関わった渋沢栄一の孫・渋沢敬三が、小学校卒業後、独学で中学卒業資格をとった貧しく無学な宮本を、無名の頃から金銭的に支援し続けた事も本書で初めて知った。
動物学者になりたかった敬三は、放蕩の父を飛び越え、祖父から実業家としての道を継ぐよう懇願された。
抗えない運命の中で日銀総裁、大蔵大臣、経団連相談役やKDDI初代社長を勤める傍ら、高校時代からコレクションをしていた民具を自邸車庫の屋根裏に置き、私設博物館を開設。全国の民俗学者の学びの場にしていた。
ここから宮本をはじめ、数多くの学者や研究者が巣立った。
資生堂の福原信三しかり。昭和電工の鈴木治雄しかり。資金と教養に恵まれた実業家が、才能ある学者や芸術家を資金的に裏支えするパトロネージュ精神は、今よりはるかに昭和の財界人には多かったことが本書からもよく理解できる。
民俗学勃興のために生きた宮本の不屈の人生を追いつつ、じつは特異な出生のために好きな道に進めず、自ら斜陽の道を選んだ敬三の思想と生き方が交差する構成が、本書をより魅力的に仕立てている。
敬三は財閥解体の折、大蔵大臣として軍部に屈した自らの罪を罰するべく、33室を要した三田の土地と豪邸を物納。
自身は、執事が使っていた崖下の三間の古家に移り住んだ。トイレはくみ取り式で、自室は四畳半である。土地の一部を売り、税金として納めてはという周囲の助言を、彼はこう退けた。
「いや、僕は財産税というものを考え出して皆を苦しめた。その元凶がそんなことをするわけにはいかない」
「日本の領土を半分失い、三百万人もの人が死んだのだから、このくらいは当たり前のことだ」
(本書P270)
今、これほど深く自分の心が突き動かされるのはおそらく、歴史のはざまにこぼれ落ちた渋沢敬三の身の振る舞いに、現在の政治家との圧倒的な格の違いを考えさせられるからだ。
進歩と退歩をみつめる目
話がそれた。宮本常一に戻す。
彼は民族調査を通じて、苦しい生活を続けざるをえない人々の生活を記録し続けた。そのなかで、「民宿」や「春一番」という言葉を一般に定着させた。
黙々と、日本のすみずみを歩きながら、解体される前の村々の人智、庶民のたしなみ、厳しい自然の営みを掘り起こし続けた。
佐野氏は、あとがきでバブル崩壊後の今だからこそ、名誉や栄達を望まず民俗学を追い続けた二人の巨人の足跡が、胸をえぐられるような思いとともに、美しく輝いて見えると書いている。
その後も日本はグローバル化をともない経済成長を続けてきた。ひた走りに走ってきた結果、人智の及ばぬ得体のしれないウイルスを前に今、私達は突然、途方もない立ち往生を余儀なくされている。
失いつつあるものを記録し続けたひとりの民俗学者と、生涯に渡りその熱を支えたひとりのパトロンの物語の末文を読んで、私は、立ち止まって過去を振り返る学びから生まれる、新たな力を、信じたい気持ちになった。
進歩の名のもとで退歩しつつあるものを見定めながら、人間の生きてきた道を、なお歩く。
渋沢敬三が開き、宮本常一が歩いた道は、いまもわれわれの前に広がっているだろうか。(本書 末文)
『旅する巨人〜宮本常一と渋沢敬三』文春文庫
佐野眞一/著