2020/05/01
吉村博光 HONZレビュアー
『フレディの遺言』朝日新聞出版
フレディ松川/著 こころ美保子/イラスト
新型コロナウィルスの蔓延により、当たり前だった日常生活が奪われています。こんな時にシワ寄せがくるのは、いつも生活弱者です。先日、偶然見ていた報道番組で、介護中の視聴者から次のような意味の質問がぶつけられました。
「一人で認知症の母を介護しています。もし私がコロナにかかったら、母の介護は誰がすることになるのですか」
それに対し専門家は、「ひとまず介護福祉士さんに相談して、民間サービスなどの協力が得られれば良いのですが…」と曖昧に逃げていました。そんなことは、質問者もわかっていたことでしょう。つまり、それは専門家でも「答えをもっていない問い」だったのです。
私も自宅で実母を介護中です。このテレビを観ていて、ふと我にかえりました。もし私や妻に何かがあれば、いつ同様の危機が訪れるかわからないのです。いまは、何もないように祈るしかありません。私も、この問いの答えを探す必要があるのです。
私は、いてもたってもいられず、母の部屋に行きました。そして、その手を握りその優しい顔を見つめました。感染症の災禍が過ぎるまで、運命に身を任せるしかない母。その時、何度も読み返してきた『フレディの遺言』の一節が、頭に浮かびました。
ただ、あなたが
私の目をしっかりと見て、
優しい声で
話しかけてくれたら、
きっとあなたが
大好きになります。ほかの人が
言うことを嫌がっても、
あなたなら聞こうとします。笑顔が好きだからです。
本書は、何千人もの患者を診続けた老人病院院長がしたためた、詩のような文章に素敵な絵が添えられた小さな絵本です。後半には「フレディのアドバイス」として、家族がボケたときのための知識と自分のボケを防ぐための知識が、紹介されています。
私は本書の前半部分「フレディの遺言」を初めて読んだとき、「私が医者だったことを、まず忘れてください」という言葉に胸を衝かれました。この文章は「自分がボケたときのお願い」なのですが、その時は自分がやってきたことを忘れてほしいというのです。
楽しそうにご飯をつくってくれた母。きちんと家計をやりくりしてきた母。大学の入学金を準備してくれた母。パートで働き始めて急に逞しくなった母。そんな思い出を胸に抱えながら、私は年々できることが減っていく母とずっと一緒に生きてきました。
私の頭の中は
モヤーッとしています。
だから、とても不安で
いっぱいなのです。
幼い頃、不安でいっぱいの私を貴女は励ましてくれました。本書の刊行は2008年。その数年後、足腰が弱まらないよう一緒に散歩をしていたとき、意を決したように貴女は私に言いました。「私、デイサービスのお世話になるけん」その時のことを忘れられません。
それから10年の間に、膝に人工関節を入れたり、転倒して3か所も骨折し車椅子になるなど色々な出来事がありました。その間何度か私は本書を読み返しました。その度に私は、まずは母の気持ちを否定せずに受け入れよう、と強く思いました。
いまは本当に、祈ることしかできません。私にできることは、ただ外出しないことです。新しい感染症について、あなたに話すのは無意味かもしれません。でも、優しい表情を崩さない貴女に、私ができることはあるのです。
どんなに知性が破壊されていても、
その分、感性だけは豊かなのですから。
あなたが夜を怖がったとき、私は
ほんの少しだけリスクを冒して、アルコール消毒した手で
下から支えるように、優しくその手を握りしめるのです。
冒頭の問いの答えは、なかなか見つかりません。今こうする、ということだけで現状では誰しもが精一杯なのかもしれません。それなら、私にも答えが出ています。大切な人を守るために、外出しないことも介護なのだ、という答えが出ているのです。
『フレディの遺言』朝日新聞出版
フレディ松川/著 こころ美保子/イラスト