本一冊ぶんの味わい 古本酒場「コクテイル書房」の究極のカレー――食卓から考える(3)

三砂慶明 「読書室」主宰

『文士料理入門』角川書店
狩野かおり・狩野俊/著

 

Takashi HAMASAKI

 

私が本を読む時間はだいたい深夜が多く、そのときはたいてい、お腹がへっています。

 

だからかもしれませんが、文士料理で知られる古本屋と居酒屋が合わさった高円寺の名店「コクテイル書房」の狩野俊(すぐる)氏が書いた料理本『文士料理入門』を読んだとき、天啓を得ました。

 

そうだ! 自分で作ればいいんだ、と。

 

文士料理とは、狩野氏がコクテイル書房で実際に出している料理で、作家やエッセイストが書いた料理本や小説の中に登場するメニューを、アレンジを加えながら再現したものです。

 

檀一雄の『檀流クッキング』からは定番の「大正コロッケ」、毎日の献立が書かれている武田百合子の名作『富士日記』からは「ナスのにんにく炒め」、詩人・草野新平の『酒味酒菜』の焼酎に季節の果物を次々に加えて味の変化を楽しむ果実酒「シンフォニー」。

 

宇野千代の『私の作ったお惣菜』の「極道すきやき」は、読んでいるだけでお腹が鳴って、ああもう我慢できません。

 

ごく当たり前の日々の料理から、創意工夫をこらした意外な料理までを網羅した本書が素晴らしいのは、作家の味があじわえることに加えて、その作家の作品を狩野氏がどう読んだのかが、料理のアレンジに現れていることです。

 

私が働く書店にて隔月で開催している読書会では、おなじ本を数人で読むことがありますが、他の参加者の読後感をうかがっていると、読んでいるのは本当に同じ本だろうかと考えさせられることが度々ありました。

 

だから、私の読んだ『富士日記』の「ナスのにんにく炒め」と、狩野氏が読んだ「ナスのにんにく炒め」も違って当たり前なんだと、本書のレシピで料理を作りながら、つくづく考えさせられました。

 

そして、なんと文士料理には続きがありました。

 

その総決算ともいえる料理「文学カレー 漱石」が、2020年、夏目漱石の誕生日である2月9日に生まれたのです。

 

「文学カレー」とは、文士料理と違い、作品の中に描かれている料理ではなく、作家に捧げられたあくまで「創造」の料理です。

 

夏目漱石は『三四郎』の中で、「僕は淀見軒でカレーライスをごちそうになった」という一節を残していますが、そうした小説の中のカレーではなく、生涯、胃弱と神経衰弱に悩まされ、かつ牛肉が大好物だった漱石自身が喜ぶカレーとは何かを、狩野氏が夏目漱石の作品を耽読し、想像し、現代の食材と料理の技術を駆使してささげています。

 

つまり、狩野氏にとっての「文学カレー 漱石」がこうだったとしても、私にとっての「文学カレー 漱石」は、全く違う可能性があるのです。

 

作家の作品を通した料理の創造。

 

読書会でかわされるのは、お互いの読後感の言葉ですが、狩野氏がこの作品で読者に問うのは、言葉ではなく「味」なのです。

 

こんな漱石の読み方があったのか、とカレーを食べながら震えました。

 

高円寺のお店に行けなくても、一冊の本のように、レトルト版カレーを取り寄せて食べることができるのも、この作品が本らしいところです(「日本の古本屋」というサイトで販売されています)。

 

まさか私も、カレーを食べて夏目漱石を読みたくなる日が来ようとは思いませんでした。

 

Takashi HAMASAKI

『文士料理入門』角川書店
狩野かおり・狩野俊/著

この記事を書いた人

三砂慶明

-misago-yoshiaki-

「読書室」主宰

「読書室」主宰 1982年、兵庫県生まれ。大学卒業後、工作社などを経て、カルチュア・コンビニエンス・クラブ入社。梅田 蔦屋書店の立ち上げから参加。著書に『千年の読書──人生を変える本との出会い』(誠文堂新光社)、編著書に『本屋という仕事』(世界思想社)がある。写真:濱崎崇

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