天才科学者の誰もが「ぶっちゃけよく理解していない」、それが量子力学である

長江貴士 元書店員

『量子革命 アインシュタインとボーア、偉大なる頭脳の激突』新潮社
マンジット・クマール/著 青木薫/翻訳

 

 

量子論(「量子力学」とも表記されるが、ここでは「量子論」で統一する)は、アインシュタインが生み出した一般相対性理論と並んで、20世紀物理学の到達点であると言われている。少なくとも、量子論がなければ、テレビやパソコンなどは生まれなかった。量子論は、現実を「計算」することにおいて最も成功した理論の一つと言っていいだろう。

 

しかし、量子論が描像する世界を「解釈」することにおいては、これまで物理学者たちは散々に頭を悩ませてきた。これまで量子論に関して、物理学者たちがどんな発言をしてきたのか、本書からいくつか引用してみよう。

 

アインシュタインは後年、次のように述べた。「この理論のことを考えていると、すばらしく頭の良い偏執症患者が、支離滅裂な考えを寄せ集めて作った妄想体型のように思われるのです」

 

ノーベル賞を受賞したアメリカの物理学者、マレー・ゲルマンは、そんな状況を指して次のように述べた。量子力学は、「真に理解している者はひとりもいないにもかかわらず、使い方だけはわかっているという、謎めいて混乱した学問領域である」

 

量子論にはじめて出会った時にショックを受けない者に、量子論を理解できたはずがない(ニールス・ボーア)

 

現在、物理学はまたしても滅茶苦茶だ。ともかくわたしには難し過ぎて、自分が映画の喜劇役者かなにかで、物理学のことなど聞いたこともないというのならよかったのにと思う(ヴォルフガング・パウリ)

 

これらの発言をしている物理学者たちは、歴史に名を残す見事な業績を持つ人たちばかりである。そんな彼らが、量子論という最も成功した理論に対して、こういう反応を示しているのだ。

さらに凄いことに、これまた偉大な物理学者であるリチャード・ファインマンはこう発言している。

 

「こんなことがあっていいのか?」と考え続けるのはやめなさい―やめられるのならば。その問いへの答えは、誰も知らないのだから

 

物理学というのは、「現実はどうなっているのか」という問いに対して、実験や理論によって答えようとする学問だ。しかしファインマンは、「量子論を解釈するのは止めよう」と言っているのだ。もはやこの発言など、物理学者による敗北宣言としか思えないだろう。

 

本書はそんな量子論という理論が、どう生み出され、どう発展し、どのような議論を生み出したのかを非常に丁寧に描いていく作品だ。量子論は、その当時生存していたスター物理学者全員が関わっていると言ってもいいくらい、膨大な数の人々がやいのやいの議論しながら生み出された理論だ。量子論誕生のきっかけとなるプランクの発見の直前、そもそも物理学の世界では、「これでもう世の中すべてを説明する理論は出尽くした」とさえ考えられていた。しかしそんなタイミングに、これまでの常識を全部ひっくり返すくらい奇妙で奇天烈で不可解で理解不能な理論が構築され、それについて猛烈な議論がなされていくのである。本書では、量子論形成に関わった様々な物理学者その人の描写も多くなされ、理論の形成と物理学者の半生の両方の歴史を堪能出来る作品である。

 

さて、そんな中でも量子論に深く関わることになった物理学者が、かの有名なアインシュタインである。物理学に関心がある人にとっては、「アインシュタインは最後まで量子論に反対し続けた」というイメージで有名だろう。アインシュタインが残した、「神はサイコロを振らない」という有名な言葉は、「量子論なんて俺は認めない!」という主張を凝縮したものなのである。しかし、アインシュタインが猛烈に反対し続けたお陰で、量子論における最も奇妙で謎めいた現象への理解が進むこととなったし、それどころかアインシュタインは、実は量子論誕生のきっかけにも関わっているのである。

 

その辺りの流れを、非常にざっとだが追っていくことにしよう。

 

まず、「量子」とは何かという説明からしよう。これは水道をイメージしてもらえればいいと思う。水道の水をジャーっと出している状態は、「1つ、2つ、…」と数えられるようなものではないので、これは「量子」ではない。一方で、水道の水がポタポタと、一滴一滴水滴を落とすように落ちているとどうだろう。これは「1滴、2滴、…」と数えることが出来る。これが「量子」だ。現代人には、「量子」というのは「デジタル」である、という方が伝わりやすいだろうか。

 

この「量子」という考え方を初めて導入したのが、先程名前を出したプランクである。それまで説明不可能だった「黒体問題」という難問を、「量子」という考え方を導入することで解決出来るんじゃないか?と提案したのだ。アインシュタインはこのプランクの発想に対して、「足もとの大地が下から引き抜かれてしまったかのよう」に感じたと言ったとされるが、しかしそのアインシュタインも、実はすぐさま「量子」という考え方を取り入れることになる。

 

それが有名な「光量子」である。これは大雑把に言えば、「光は1粒2粒と数えられる粒子(量子)で出来ている」という考え方だ。アインシュタインはこの考え方を使って、当時これまた理解不能とされていた「光電効果」という現象を理論的に見事に説明した。

 

しかしアインシュタインの「光量子仮説」は、提唱してから20年以上経っても物理学者の間で受け入れられなかった。何故なら、それまで物理学の世界には、「光は波である」という膨大な実験結果が存在していたからだ。アインシュタインが理論的に説明した「光電効果」を実際に実験によって検証してノーベル賞を受賞したミリカンさえも、自分が行った実験の結果を信じられなかった、と言っているほどだ。「光量子仮説」はずっと、アインシュタインだけが支持していたのだ。

 

しかしそのアインシュタインにしても、自身の「光電効果」の説明に納得がいっていなかった。その理由は、「光電効果」の説明に「運任せ」の要素、つまり「確率」が含まれていたからだ。アインシュタインは、世の中は物理学によって正確に描像できるはずだ、という信念をずっと抱いていた。だからこそ、「確率」によってしか記述できないのは、理論体系が不十分だと考えていたのだ。

 

その後、ハイゼンベルグとシュレディンガーという2人の天才物理学者が、まったく別の方法でまったく別の見た目を持つ量子論の方程式を発見する。2つの方程式はしばらくして、数学的には同値(書き方が異なっているだけで同じもの)と証明されることになったが、しかし2人の解釈はまったく違っていた。ハイゼンベルグの方程式は「粒子」に注目したものであり、一方シュレディンガーの方程式は「波」に注目したものだったのだ。両者は、自分の解釈の正しさを譲らず激しい論争になるが、やがてハイゼンベルグが、後に量子論の基本原理と認められることになる「不確定性原理」を発見し、これを元に、「電子は観測されるまで特定の位置を持たない」という“異次元”の解釈が生まれることになる。これが、後に「コペンハーゲン解釈」として有名になる考え方の根幹である。

 

これが“異次元”なのは、アインシュタインによる、「あなたが見ていない時、月は存在しないとでも言うのか」という批判で理解できるだろう。コペンハーゲン解釈はまさに、「あなたが見ていない時、月は存在しない」という主張をしているのだ。

 

そんな馬鹿げた主張が許されるはずがないと考えたアインシュタインは、コペンハーゲン解釈を徹底的に糾弾することになる。しかし、コペンハーゲン解釈の大家として絶大な影響力を誇ったボーアが、アインシュタインが仕掛ける論争に常に穴を見つけ、「間違ってんだろと突っ込むアインシュタイン」VS「いやお前の議論にはここに不備があると防衛するボーア」という論争が、ずっと続くことになる。

 

しかしアインシュタインはついに、コペンハーゲン解釈の息の根を止めるかに思われる思考実験を考え出す。それが「EPR実験」と呼ばれる有名なものだ。この実験の詳細についてはここでは触れないが、アインシュタインはこの実験によって、後に「もつれ」と名付けられる奇妙な現象に触れ、「もつれは、光よりも早く情報が伝わることはないという大原則を破っているように見える。だからコペンハーゲン解釈は不十分だ」と指摘したのだ。ボーアはこの指摘に、うまく反論できなかった。とはいえコペンハーゲン解釈派は、従来の主張を繰り返し、議論は平行線のままだった。

 

しかし、アインシュタインもボーアも亡くなった後、驚くべき展開が待っていた。

 

物理学者たちは実は、アインシュタインとボーアの論争に飽きていた。というのもその論争は、量子論という学問をどう解釈するかという話でしかなくて、どちらの解釈でも実用上は問題なかったからだ。「アインシュタインの解釈」でも「ボーアの解釈」でも、実際上の問題の計算には不都合しない。だったらどっちでも良くね?という雰囲気が多勢を占めるようになっていた。

 

しかしここでベルという物理学者が登場する。彼はなんと、「アインシュタインの解釈」と「ボーアの解釈」のどっちが正しいか、実際に実験で確かめる方法があるよ!という、誰も気付かなかった驚くべき主張をしたのだ。ベルがその主張をした時代にはその実験を行うだけの設備を整えることは不可能だったが、その後実際に実験が行われた。

 

その結果、なんと驚くべきことに「アインシュタインの解釈」が間違っていることが判明したのである。しかしそれは決して、「ボーアの解釈」が正しいことの証明ではない(その詳細もここでは触れない)。現在でも、量子論をどう解釈すべきかという論争は残っており、近年では、エヴェレットが提唱した「多世界解釈」に人気が集まっている。

 

量子論には面白い話が満載で、ここで触れたことはその100分の1にも満たないだろう。本書には、量子論で語られるべき面白さの大半が詰まっていると言っていい。本書を読めば量子論を理解できるわけではないが(物理学者の誰も、量子論を理解していないのだから当然だ)、量子論の面白さは伝わるはずだ。

 

『量子革命 アインシュタインとボーア、偉大なる頭脳の激突』新潮社
マンジット・クマール/著 青木薫/翻訳

この記事を書いた人

長江貴士

-nagae-takashi-

元書店員

1983年静岡県生まれ。大学中退後、10年近く神奈川の書店でフリーターとして過ごし、2015年さわや書店入社。2016年、文庫本(清水潔『殺人犯はそこにいる』)の表紙をオリジナルのカバーで覆って販売した「文庫X」を企画。2017年、初の著書『書店員X「常識」に殺されない生き方』を出版。2019年、さわや書店を退社。現在、出版取次勤務。 「本がすき。」のサイトで、「非属の才能」の全文無料公開に関わらせていただきました。

関連記事

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitterで「本がすき」を