2020/06/23
横田かおり 本の森セルバBRANCH岡山店
『逆ソクラテス』集英社
伊坂幸太郎/著
「僕は、そうは、思わない」
子供の頃、そんな風に強い言葉で自分自身のことを守れたなら、どんなに良かっただろう。言葉を飲み込んでは自己嫌悪に陥り、こんな自分を好きになれず、ひそかに傷ついてもいた。特に中学生の頃はその傾向が強く、みんなの会話に全くついていけなかった。軽快なリズムで流れる友人たちの会話は、私にはスピードが速すぎた。
大人になった今なら分かる。私とは全く違うものが好きで、違う世界を見ている友人たちと、噛み合わない会話を繰り返すことしかできない場所にいたのだと。その時、居場所を求めるように本の世界にのめり込んだけれど、それは本の中では誰にも気兼ねすることなく、いくらでも時間をかけて“言葉”を探すことができたからだった。
私の言葉はきっと、人より見つけ出すのに時間がかかる。そのことにジレンマを感じることも、もちろんあった。でも、あの日々が今の私、本とともに生き、あの時言えなかった言葉を取り戻すかのように言葉を紡ぎだそうとする私につながっているのかと思うと、必要な経験だったと、ただただ思う。
この物語は、伊坂幸太郎さんのデビュー20年目の記念碑的な作品で、言うまでもなく読み物として、とびきり面白い。短篇というには少し長めの物語が五篇収録されていて、各篇は完全には繋がっていないけれど、物語を繋ぐ架け橋のような人物がいる。それは、今までの伊坂作品に登場した「悪役」を彷彿とさせる人物と、伊坂氏が小学生時代に「勉強以外の大切なことを教えてくれた」と語る教師がモデルとなった人物だ。
また、伊坂マジックとしか表現できない言葉巧みなストーリー展開は、目に見えるくらいの衝撃で、心にスカッと風穴を開けてくれる。まだ気づいていない物語に張り巡らされたトリックの予感もあって、わくわくする気持ちが止まらない。
そして、この物語の最大の特徴は、主人公が子供であるということだろう。今まで、自分の子供に作品を読んでほしいと思ったことはなく、主人公を子供にしたこともなかったそうだが、自分の子供や、さらに下の世代の読者、どんな未来も選択することのできる子供たちに届けたいという強い意思を持って書かれた作品だ。
子供を主人公にすることは、世界を下から見上げることであり、自分の力ではどうすることもできない理不尽さに初めて直面することであり、大人にはない視点や、忘れていた感情をリアルに思い出させてくれる作用をもたらす。冒頭で私が感傷に浸ってしまったのも、伊坂マジックにかかっているからなのだろう、と温かい目で見ていただければ幸いだ。
表題作「逆ソクラテス」の舞台は小学校で、大きな体に整った顔立ち、よく通る声で独特の威圧感を持つ、私の記憶の中にもうっすら存在するような――教師が、ある男子生徒に対していじめのようなことをしている。きっかけは些細なことで、ピンク色の服を着ていたその生徒に向かって「女子みたいな服を着ているな」と言ったことだった。その教師にとっては、ただ目に留まったことを言っただけなのかもしれない。しかし、子供たちは教師の醸す空気を敏感に察知し、それから何かにつけその生徒はバカにされたり、軽んじられたりするようになった。
作戦を持ちかけてきたのは、転校生の安斎だった。巻き込まれようにしてその作戦に加わったのが、平均的な能力と知性を持つ主人公の「僕」と、ターゲットにされている男子の草壁。そして、なぜか参戦してきた優等生の佐久間という女子。草壁に対する教師の態度に異議を唱える賢い二人と、何だかよく分からないまま巻き込まれた僕と、被害者である草壁のでこぼこチームだ。
彼らが考えた作戦は“その人”や“問題そのもの”にアプローチするのではなく、「先入観を覆す」という難易度の高いものだった。すっかり見下されている草壁が、実はものすごく能力があって、すばらしい才能があると思わせるような出来事をでっちあげるのだ。小学生が考えたとは思えないような賢明かつスリリングな作戦は、うまくいったものもあったし、うまくいかなかったものもあった。先入観は目には見えない上に、とてつもなく巨大な存在だ。人に教え、公平な立場にいないといけない教師ですら、すっぽりと飲み込まれてしまっているくらいには。
時は流れ、小学校を卒業した四人はじきにばらばらになった。どこで何をしているか分からなくなった人もいた。しかし、大人になって再会した“二人”の会話には、自然とこぼれる言葉があった。
「僕はそうは思わないけどなあ」
大きな問題に小さな体で立ち向かったあの頃、安斎が教えてくれた魔法の言葉だった。教師に改心させるとか、いじめをやめさせるとか、子供の力では――大人だってどうしたらよいかと頭を抱えるようなことを、彼らは解決したかったのではない。
真の敵は、先入観や、決めつけ、できっこない、ありえないと思うことで、無限に広がる可能性や、未来の芽を摘むことだった。そして、必ずどこかに潜んでいる「切り札」を見過ごしてしまう、狭量な視点や凝り固まった思考のことだ。
味方は、いつでも自分とともに在った。「僕は、そうは、思わない」この言葉に、自分だけの答えと、現実に立ち向かう勇気が集約されていた。口に出せなくてもいい。ただ、この言葉を切り札のようにいつも自分の内側に置いておくこと。それが、いつかの未来への新しい扉を開く。
答えは人の数だけある。でも、大きな声で主張する人や、権力を持つとされる人、多くの人が「そうだ」と発した言葉はみんなの意見となり、「そうではない」人の声をいとも簡単にかき消してしまう。そんなの、本当はおかしいのに。
この物語を過去の自分に読ませてあげたかった。気弱でシャイでおまけに根暗で、本さえ読めればいいと本気で思っていたオタクの私に。きっと、私の心を力強く支えてくれただろう。でも、今の私が心を震わせながらこの物語を読み、こうやって言葉にできていることが、何物にも代えがたいギフトなのだ。
『逆ソクラテス』集英社
伊坂幸太郎/著