坂口安吾を読んでいるようなカタルシスが…コロナ禍の今、妙に響く言葉たち

藤代冥砂 写真家・作家

『シャボテン幻想』ちくま学芸文庫
龍膽寺雄/著

 

コロナ禍の影響で、ネットでの買い物が増えた。と言いがちだが、実際は買い物自体が減ってしまい、すでにあるもので間に合ってしまうことばかりだ。

 

中でもファッションに関しては、私はここ数ヶ月何も買っていない。先日、新宿でマスク入荷の呼び声につられて、とある店に入ったはいいが、そのマスクですら買う気にもなれずに、メンズフロアをぐるりと一周しただけで出てしまった。世界の何かが、もしくは、自分のどこかが色あせたようで、寂しいような、さっぱりしたような気になった。コロナが色々塗り替えていることを、普通の生活のそこかしこに散見するが、まだ現実味が追いつかないような浮遊感があるのも正直なところだ。

 

惰性で転がしていた様々な欲望に強制一時停止ボタンが押されたような毎日だが、読むことに関しては、むしろそれがエンタメとして私の中でぐいぐいと復活している。

 

それがどんなジャンルにしろ、図鑑にしろ、漫画にしろ、専門書にしろ、ひっくるめて娯楽としてポールポジションに戻ってきた感じがある。これは私にとっては喜ばしいことで、財布に優しく、頭が冴え、意欲的な気分をもたらしてくれる。

 

前置きが長くなったが、要は、書店に入ることも以前に増して楽しくなったのだ。

 

ネットで探すのは、効率がいいようで、実はそうでもない。この場合の効率とは、視野の外にあるが本当は出会わなければいけないような本に近づくための効率のことだ。

 

先日、私の他拠点先のひとつである長野の諏訪エリアの某書店で、『シャボテン幻想』に出会った。ちなみに、出会うというのは、書店でのそれにふさわしい言葉だと私は思う。

 

さて、本書についてだが、著者の龍膽寺雄(りゅうたんじゆう)さんのことは知らなかった。少し立ち読みすると(これが実書店のいいところ)文体が好みで、サボテンについての随筆集というもの我が趣味とドンピシャだったので、レジへと持参した。¥1000というのは文庫では安くはないが、このぐらいの価格帯の文庫には知る人ぞ知るような名著が多く、ある意味品質保証付きとも言える。

 

読み始めるとすぐに、ペンが必要だと分かった。私はほとんどの場合、ペン無しでは本を読む気になれない。これはと自分が選んだ本には、必ず学ぶことが沢山あるから、アンダーラインなしで読み進めることがもはやできない。

 

「シャボテン幻想」は、専門書的価値の高い記述も多く、そこにも線を引くのだが、それよりも私はこんな文章に一時停止した。

 

「人間ははじめから心に荒凉たる砂漠を抱いて生まれ、シャボテンは荒凉たる砂漠の環境に生みつけられて育ったので、どちらも、もともと、荒凉は性に合った生き物なのだ」

 

これは、サボテンという植物そのものではなく、サボテンを好むような人を語っていて、本書全体を象徴していもいる。その文章は無駄がなく、キレがあり、本質へとすっと入り込む。なんというか坂口安吾を読んでいるようなカタルシスさえある。

 

サボテンというのは、地球創生からあるような面構えの者が多いが、実は我々の直接的祖先であるホモサピエンスとほぼ同時期に進化の果てに現れた最新の植物であり、著者がある意味、サボテンを同胞として親しんでいるのも、異種族の交歓相手として不足なしと捉えて愛しているのかもしれない。

 

さらにこんな文章に一時停止した。

 

「それにしても、人間はなぜ、こんなに変化を求めるのだ?
 そのためになぜ、こんなに忙しく、あわただしいのだ?
 なぜ、息せき切って、いつも走りまわっていなければならないのだ?
 なぜ、建築の様式を前よりも新しくするのだ? 
 なぜ、衣類の意匠を、年々変えるのだ?
 なぜ去年のパラソルの柄の長さが、今年は通用しないのだ?
 なぜ自動車の型を、しょっちゅう新しいのと変えるのだ?
 なぜ、ミニスカートをロングに変えるのだ?
 なぜ、こういう変化のスピードを、年々せきたれられるように早くするのだ?
 なぜ人間は、眼の色をかえて、あわただしく、こういう変化を追いかけるのだ?
 生活の合理性を求めて?
 それも大いにある。しかし、そればかりでもない。
 この、何かそういう本能をでも持っているかのように、人間は次から次へと新しい変化を求めて、息せき切って駆けまわっている。他の生きものに見られない本質の原因は何か?
 ただ一つの答えは、こうだ。
 それが人間の、つまりホモ・サピエンスの宿命なのだ!」

 

コロナが強制一時停止を人類に持ち込んだ今の状況に、妙に響く言葉たちは、サボテンを語るついでにぽろりと出てきたのだろうが、本の中には、入り口からは予想もできない路地を持つ物があって、その路地と曲がり角が多い本こそ、出会いたい本だ。

 

『シャボテン幻想』ちくま学芸文庫
龍膽寺雄/著 

この記事を書いた人

藤代冥砂

-fujishiro-meisa-

写真家・作家

90年代から写真家としてのキャリアをスタートさせ、以後エディトリアル、コマーシャル、アートの分野を中心として活動。主な写真集として、2年間のバックパッカー時代の世界一周旅行記『ライドライドライド』、家族との日常を綴った愛しさと切なさに満ちた『もう家に帰ろう』、南米女性を現地で30人撮り下ろした太陽の輝きを感じさせる『肉』、沖縄の神々しい光と色をスピリチュアルに切り取った『あおあお』、高層ホテルの一室にヌードで佇む女性52人を撮った都市論的な,試みでもある『sketches of tokyo』、山岳写真とヌードを対比させる構成が新奇な『山と肌』など、一昨ごとに変わる表現法をスタイルとし、それによって写真を超えていこうとする試みは、アンチスタイルな全体写真家としてユニークな位置にいる。また小説家としても知られ著作に『誰も死なない恋愛小説』『ドライブ』がある。第34回講談社出版文化賞写真賞受賞

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