出版界史上「最恐」の編集者、齋藤十一の伝説

金杉由美 図書室司書

『鬼才 伝説の編集人 齋藤十一』幻冬舎
森 功/著

 

 

神楽坂のはずれ、矢来町に曲がってすぐに新潮社の社屋がある。
実家が神楽坂の小料理屋だったので、掛け取りに行く親に連れられてよく行った。
本館と別館が向かい合わせに建ち、ビルの壁面に週刊新潮の表紙を長く手掛けていた谷内六郎の大きな絵があった。
ショールームで本を買ってもらうのが楽しみだったけれど、当時は女子供を相手にしない出版社だったから児童書がなくて、星新一の「ボッコちゃん」なんかを選んだ記憶がある。
「週刊新潮はあした発売です」
そんなテレビCMが流れていた時代。

 

そして、その頃もう既に齋藤十一は伝説だった。
鎌倉に住んでいて出社するときは銀のBMWで送迎される、というのも神楽坂では有名な都市伝説。
本書は評伝として、そんな「新潮社の天皇」の姿を描き出す。

 

「ひとのみち教団」による縁で1935年に新潮社に入社、倉庫番から始まって編集者となると間もなく頭角をあらわし取締役に就任。「新潮」編集長を20年間つとめ、芸術新潮・週刊新潮・フォーカス・新潮45といったすべての看板雑誌を実質的に監修していた、希代のカリスマ。
週刊誌ジャーナリズムというものを創り出した張本人。写真週刊誌ブームの立役者。

 

音楽と芸術と文学を愛し、そのすべてに深い造詣を持ちながらも「おれは俗物だ」と嘯いて、自分が読みたいかどうかがすべての基準だった。
松本清張にダメ出しをし、池波正太郎の連載を打ち切りにし、五味康祐をボツにし続けた。
人嫌いで知られ、ごく限られた作家としか付き合わなかった。

 

直接会っていた数少ない作家のひとり山崎豊子は、大阪から上京するたびに真っ先に新潮社を訪れ、毎回決まって「私は、山崎豊子と申します」と初対面のような自己紹介をしたという。
あの大ベストセラー作家が。
怖い。怖すぎる。

 

週刊新潮に31年間もコラムを連載していた山口瞳にも齋藤十一は一度も会っていないが、その理由は「がっかりするといけないから」。
自分ががっかりするのか、相手ががっかりするのか。
どちらも、だったのかも知れない。
自らのセンスを恃み、認めた作家のことはとことん敬愛したからこそ、気にかかる作家とさえ会おうとしなかったのかも知れない。
衆愚を嫌い、大衆のために雑誌をつくり続けた。
臆病であり豪胆、不遜にして繊細。

 

実のところ、本書を読み終えても齋藤十一という人がまったくわからなかった。
あまりにも謎のベールが厚い。
半世紀以上にわたって名編集者としてその名をとどろかせていたにもかかわらず一編の著作もなく、残っているのは名タイトルだけ。
だからなおさら姿が見えにくい。
「人殺しの顔をみたくないか」とか「貴稿拝見、没」とか有名な名セリフについても触れられているし、公私にわたる様々なエピソードも収められているけれど、本当の素顔が見えた気がしない。
それも編集者という黒子に徹した人生だったからなのか。
巨大な影だけが印象に残った。
「伝説」とは、そういうものなのだろう。

 

「斎藤さんがいなかったら、新潮社なんか、今ごろもう存在しないんじゃないですか」
新潮社の現社長にそう言わしめた怪物、齋藤十一。
鎌倉の建長寺に眠るが、墓石は家で使っていた漬物石が遺言どおりに据えられている。

 

こちらもおすすめ。

『騙し絵の牙』KADOKAWA
塩田武士/著

 

映画公開、しかも主人公のキャラクターが主演の大泉洋を想定したあて書き、な話題作。
現在の出版業界のドン詰まった状況が背景となっていて、いろいろと胸が痛い。
書店員だったころの同僚たちにこういう出版業界ネタ本の話をふると、決まって「あー、胸痛くなるヤツだソレ」的な反応が返ってくる。だよね、だよね。
齋藤御大が今の出版界をみたら何て言うだろうか。

 

『鬼才 伝説の編集人 齋藤十一』幻冬舎
森 功/著

この記事を書いた人

金杉由美

-kanasugi-yumi-

図書室司書

都内の私立高校図書室で司書として勤務中。 図書室で購入した本のPOPを書いていたら、先生に「売れている本屋さんみたいですね!」と言われたけど、前職は売れない本屋の文芸書担当だったことは秘密。 本屋を辞めたら新刊なんか読まないで持ってる本だけ読み返して老後を過ごそう、と思っていたのに、気がついたらまた新刊を読むのに追われている。

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