akane
2018/12/05
akane
2018/12/05
入社して配属された部署は少数精鋭の何でも部隊で、とても多忙を極めていた。もちろん仕事は楽しかったのだけれど、初めはできないことばかりで、厳しい現実に直面することも多々あった。
そんなとき、心の安定剤になってくれたのは偶然見つけた秘密の鏡だった。
「鏡よ鏡、同期で一番仕事ができるのは、だぁれ?」
鏡に向かって、私は尋ねる。
すると鏡の表面がぐらりと揺れて、こんな声が返ってくる。
「同期で一番仕事ができる……それはあなた」
その一言で、私は救われたような気持ちになる。
鏡を見つけたのは、会社の資料室でのことだった。あるとき資料の整理をしていると、段ボールの中に神秘的な雰囲気を放つ手のひらほどの鏡を見つけたのだ。
その鏡に話しかけてしまったのは、ちょうど慣れない仕事の連続に疲弊していたこともあったのだろう。声が返ってきたときも、驚くというより不思議と自然に受け入れている自分がいた。
数十人の同期の中で、自分が一番仕事ができる――。
鏡の言葉は私にとって、忙しい日々をがんばれる何よりの糧(かて)になった。
以来、気持ちが弱くなってくると私は資料室をこっそり訪れ、鏡に話しかけるようになった。鏡も期待に応えてくれ、いつでも私に力をくれた。
「おまえはほんと、よくやってるよ」
先輩たちも認めてくれて、新人なりに順調な会社生活を送れていたといえるだろう。
そんな私と対照的だったのが、同期入社の白石美雪だ。
美雪は同じ部署に配属された唯一の同期で、どうしてこの精鋭部隊に配属されたのか理解に苦しむほど、仕事が全然できない子だった。
「おい、白石! コピーがズレてるぞ!」
先輩が怒鳴って、美雪はひぃっと立ち上がる。
「す、すみませんっ!」
「おい、白石! こっちはデータにミスがある!」
「すみませんっ!」
美雪は謝罪の言葉を繰り返す。そしてそのうち、めそめそと泣きはじめるのがお決まりだった。
先輩たちはどうにも対応に困ってしまって、仕事が一時中断する。
「ずびばぜん、ずびばぜん……」
声を震わせ謝る美雪に、私はイライラして仕方がなかった。
こんな子、さっさと辞めたらいいのに――。
私は資料室に赴いて、鏡に尋ねる。
「鏡よ鏡、同期で一番仕事ができるのは、だぁれ?」
「それはあなた」
「そうだよね、できる私はあんな子程度にイライラしてちゃダメだよね」
心を鎮め、自分の仕事に戻るのだった。
春が終わり、夏が終わり、あっという間に会社員生活も半年が過ぎ去った。
そのころからだ。腑に落ちないことが起きはじめたのは。先輩たちの美雪への評価が次第に変わりだしたのだ。
「あいつはドジでヘマばかりしてるけど、けっこう骨があるやつだよな」
あるとき、先輩が話しているのが耳に入った。
「分かる分かる。案外、がんばり屋だしな」
最初は誰のことを言っているのか分からなかった。が、耳をそばだてて聞いていると、どうやら美雪のことらしいと理解した。
そのときは、先輩が美雪に同情しているだけのことだろうと高を括った。あんなのが評価されるわけがない。ダメだからこそ、いいところを無理やり探してあげてるだけに決まってる。
ところがまた別の日、信じがたいことが起こった。部署の定例会議で部長が美雪を名指しして、みんなの前でこう言ったのだ。
「いやあ、白石、よくやった」
当の美雪はポカンとしていた。
「おまえの案、通ったぞ」
そして部長はこう言った。少し前に美雪が提案していた企画が取引先に気に入られ、採用されたと。新人としては異例のことで、私だって先輩に案を褒められることこそあれ、採用に至ったことはまだ一度もなかったのだ。
「えっ、ほんとですか……?」
部長が微笑み頷くと、少し間を空け美雪は上ずった声をあげた。
「あ、ありがとうございますっ!」
ペコペコ頭を下げる美雪に、部長をはじめ先輩たちはみんな労(ねぎら)いの言葉を贈った。が、私はそれどころではなく、激しい嫉妬心に襲われていた。
「おい、おまえも祝ってやれよ。同期だろ?」
先輩のひとりに声を掛けられ、ようやくハッと我に返った。
「あ、お、おめでとう……」
慌てて言った私に、美雪は弾けんばかりの笑顔を見せた。
「ありがとっ!」
その表情は、胸の黒い渦をいっそう掻き乱した。
定例会議が終わるや否や、私は資料室へと駆けこんだ。こんなにも鏡の声を聞きたいのは初めてだった。
そして鏡の入った箱を開けると、急いで聞いた。
「鏡よ鏡」
私は食い入るように鏡を見つめる。
「同期で一番仕事ができるのは、だぁれ?」
鏡の表面が、いつものようにぐらりと揺れる。
それはあなた――。
そう返ってくるものだと、どこかで信じ切っていた。
が、鏡が発した言葉は耳を疑うようなものだった。
「同期で一番仕事ができる……それは白石美雪」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。聞き違いだろうかと、私はもう一度尋ねてみた。けれど、鏡は美雪の名前をまた言った。
「冗談でしょ!?」
ムキになって何度も何度も尋ねたが、鏡は白石美雪と繰り返すばかりだった。
私は呼吸が荒くなった。
「認めない……」
とにかくその言葉以外は出てこなかった。
「絶対に認めないから……」
激しい動悸に襲われながら、私は鏡を乱暴に箱へと投げ入れた。
美雪の考えた企画は、ひとつ、またひとつと採用されるようになっていった。
「あの企画、よかったぞ」
先輩が美雪に声を掛けると、嫌でも耳に入ってくる。
「いえ、あれは先輩が手直ししてくださったからで……」
美雪の言葉に、そうだそうだと私は内心で呟いた。その企画の話なら、自分も経過を定例会議で聞いていた。美雪は案とも呼べない思いつきレベルの発言をしたに過ぎず、最終的な企画案はどう考えても先輩が練り上げたものだった。
でも、先輩は首を振った。
「いや、おれはちょっと付け加えたくらいじゃないか」
がんばれよ。そう言い残して去っていった。
私は怒りが漏れ出ないように自分を抑えるので必死だった。
たしかに私は、まだ案が採用されたことはない。でも、美雪のあのレベルで評価されるのならば、自分だってもっと評価されていいはずだ。それに、こちらは誰にも頼らず全部一人でやっているのに、あの子は先輩の力を借りてばかりで自分じゃ何ひとつできやしないじゃないか……。
気に食わないことは他にもあった。連休でも来ようものなら、美雪はどこかに旅行へ行って先輩たちに楽しそうに報告するのだ。そして、
「これ、もしよかったら」
そう言っておみやげのお菓子を配って回った。私も一応受け取るが、内心では反吐が出そうになっている。
――こんなので得点稼ぎして、みっともない。
――こっちは休日返上でセミナーに行ったりしてるっていうのに。
美雪は先輩とよく飲みにも行っていた。
――余裕があっていいことね。
私は積極的に残業をしてスキルを磨いた。
しかしそんな中でも、鏡は変わらずこう言うのだ。
「同期で一番仕事ができる……それは白石美雪」
私は鏡を叩きつけそうになりながら、すんでのところで何とか堪える。
こうなったら、どんな手を使ってでも美雪を引きずり下ろしてやる。私はそう決意した。同期で一番仕事ができるのは美雪ではなく、この私でなければならないのだ――。
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